煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(2)

 兄の家を飛び出して、それから僕が何をしていたかというと、まず東京に行くことにしたわけです。

 それくらいのお金は持っていたから、スカイメイトを利用して東京に行きました。

 飛行機から降りて、眺める東京の景色はまるで違っていました。

 それまで何度も東京には行っていたのですが、ほとんど「首都圏決戦!」とか「首都制圧!」とか、物騒なイベントばかりだったので、景色などまともにながめたことはなかったわけです。

 学生運動からも、大学からも、そして家からも脱出して、当時の言葉で言えば「ドロップアウト」したわけですが、解放感の中で見る東京は輝いて見えました。

 

 最初は、何の情報もなくお金もわずかしか持っていなかったので、大学の先輩のところに転がりこみました。先輩の住むアパートは京王井の頭線東松原駅のすぐ近くでした。木造二階建の古いアパートで、先輩の部屋は二階の6畳一間の狭い部屋で、台所といっても部屋の入り口に小さなシンクとガスコンロ一台があるだけ。もちろんトイレは共同便所で、風呂は近所の銭湯にという生活でした。

 ノグチさんという先輩だったのですが、美術科を出ていて、銀座のデザイン事務所で働いていました。

 

 ノグチさんのアパートに居候していたのは3カ月ぐらいだったのかな。

 しばらくアルバイトをしながら職探しをしていたのですが、居候生活3カ月目ぐらいのある日、新聞の求人広告欄に舞台照明の会社でスタッフ募集とあるのを見つけました。

 僕は大学時代に舞台照明のアルバイトをしていたこともあって、応募することにしました。

 募集していた会社は中目黒にあるK舞台照明という会社で、「未経験者でもかまいません」と書いてあるし、まあ僕はアルバイトとはいえ経験者だから大丈夫かなと思いながら、面接に行きました。

 

 目的の住所に着いてみると、その会社は小さなビルの二階にある小さな事務所でした。その事務所は、社長の自宅でもありました。

 面接といっても、社長に招き入れられて、「あのお、新聞広告見てきたんですが」と僕が言うと、「いつから出来る? 今からでもいいかな?」と、実に簡単に僕の仕事は決まったのでした。

 

 その仕事というのは、インド大魔術団の日本公演で照明スタッフとして一緒に全国をまわることでした。

 狭い事務所の中では、おじさんが一人で照明器具のケーブルをつくっていました。巡業に持っていく機材を準備していたのです。

 K舞台照明で働くことになったのは、12月の初めごろだったと思います。

 商店街に「ジングルベル」や「ホワイトクリスマス」が流れていたころです。

 

 「この人、今回の巡業で舞台監督をやることになっている、イワモトさん」

 社長は、作業中のおじさんを紹介してくれました。

 イワモトさんは顔を上げると、

 「今日から出来るの? これやってくれる」といって、ケーブルつくりの要領を説明してくれました。

 そういう具合にして、僕は小さな舞台照明の会社で働くことになったのです。

 仕事があるというのは良いことです。自分の居場所が出来るのですから。