煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(10)

 イワモトさんは、魔術団の移動用に用意されたバスで、インド人たちと一緒に旭川まで来たのですが、魔術団の人たちは防寒着など持っていなくて、特に女の人たちは薄い布地の民族服の上にコートを羽織っただけで、寒そうだったと言います。

 「ほんとに冗談じゃないんだよ。真冬の北海道、しかも旭川振り出しに道北から回るなんていうのは。殺されそうだよ」

 このP.C.SORCARインド大魔術団の日本公演は、興行主が旭川のH興行でしたから、正月休みにまず地元からスタートして、北海道の子供たちにも冬休みの間に見せたいという思惑もあったのだろうと思います。

 

 美深町では前日の宿屋でつくってもらったおにぎりをトラックの運転席においたままにしていたら、冷凍おにぎりになっていて、夜中の移動中におなかがすいていたので、食べようとしたのですが、解凍しないと食べられそうにありませんでした。そのときの気温はマイナス20度だったらしいです。

 

 士別での公演で、事件は起きました。

 公演が終わって、ステージ用語で「ばらし」という、片付け作業をしているときでした。団長のソーカーさんとは、仕込みのときや開演前の打合せのときぐらいしか接触がなかったのですが、その日に限ってショーが終わっても、ソーカーさんは舞台裏のいすに深々と腰を沈めて、とても疲れた様子でした。

 僕が傍らで照明用のケーブルをかたづけていると、こちらを向いて自分の胸をなでながら「ハートが痛い」と言います。

 てっきり僕は、ソーカーさんはショーの出来に不満があるのか、それとも何か心配事でもあるのだろうかと考えました。

 

 機材や大道具類をトラックに積み込むころには、すっかりソーカーさんのことは忘れていました。

 外はものすごい寒さで、ちょっと外に出て作業しては屋内に入って暖を取るという具合で、なかなか撤収作業もはかどりません。

 しばらくしてから、H興行の人がジェットなんとかという巨大なストーブのようなものを持って来ました。いや、ストーブというより本当にジェットエンジンのようなもので、灯油を燃焼してジェットエンジンのように炎とともに熱風を噴きだす機械です。

 北海道ではこれは何に使うのでしょうか。もしかしたら、雪や凍結した道路などを溶かす機械なんでしょうか。とにかくゴオーッという音とともに炎が噴きだすところはジェットエンジンそのものです。

 そばにいると暖かいことは暖かいのですが、うっかり近づきすぎると服が燃えだしそうで、ちょっと怖い。

 

 外は真っ暗だったので、ステージ用のライトをつけて作業をしたのですが、サーチライトのように空中を照らす光の中で、氷の結晶がキラキラと輝いています。

 あれがダイヤモンドダストだったのでしょうか。とても幻想的な光景でした。

 そうやって深夜の作業をやっと終えて、僕たちはその日の宿舎である旭川のホテルに引き揚げました。

 この日から8トントラックのドライバーはオオイシさんという地元の人に交代しました。地元で寒さには慣れているはずのオオイシさんが、積み込み作業中にうっかり鉄パイプを触って凍傷になるという事件もありました。

 

 翌朝、ホテルで目を覚ますと大騒ぎになっていました。

 団長のソーカーさんが、亡くなったのです。