煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(12)そして And I Love Her(1)

 ベリョーザの店内は、ほぼ満席でした。

 アコは僕を見つけると、店の一番奥の席に案内してくれました。

 「ごめんね。ここしか空いてなくて」

 「いや、いいよ。僕一人だけだから」

 「団長さん、亡くなったんだね。ニュースで言ってたよ」

 「僕らもビックリしたんだよ。さっき聞いたばかりなんだ」

 「公演が中止になったら、お兄ちゃんたち帰っちゃうの?」

 「まだ、分からない」

 カウンターのほうから眼鏡の青年が手招きしています。

 「あ、ごめん。また後でね」

 そう言って、アコはカウンターのほうに戻っていきました。

 

 元日にタニムラさんと来たときには、お客さんは2、3人しかいなくて、ゆっくり音楽が聴けるほど店内も静かだったのですが、この日は正月もすでに6日で、大勢の客で店内はざわついていました。

 僕はこないだと同じようにコーヒーとナポリタンのセットを注文したのですが、料理を運んで来たのはアコじゃなくて、カーリーヘアで少し派手目の化粧をした24、5歳くらいの女の人でした。アコとは対照的な都会的な感じです。

 食事を済ませると、あまり長居をしても悪いので、僕はすぐにホテルに戻ることにしました。

 レジでカーリーヘアの人にお金を払っていると、厨房からアコが出て来ました。

 「ゆっくり出来なかったね。ごめんね」

 「また来るよ」

 僕が店を出るときに、アコは笑顔で手を振ってくれました。

 

  ホテルに戻ってもまだ誰も帰ってきていません。

 部屋でしばらく「ランボー詩集」を読んでいたのですが、そのうち眠くなってうたた寝をしていたらしく、気が付くとイワモトさんが帰ってきていました。

 「ソーカーさんの息子が来るらしいよ」イワモトさんは、僕が目を覚ましたの知るとそう教えてくれました。

 「長男がアメリカにいて、こっちに向かってるらしい。団長の遺体はカルカッタに連れて帰って向こうで葬式やるんだそうだ」

 「ああ、そうでしょうね。やはりインドで葬式しないとね」

 ソーカーさんはイスラム教だけど、イスラムの葬式ってどういうことをするんだろうか。

 「さあ、知らんなあ」

 イワモトさんはベッドのふちに腰掛けて、たばこに火をつけながら言いました。

 「カルカッタから二男が来るそうだよ。マジックが出来るから、あとの公演は彼がやるんだってよ」

 「そうですか。後継者がいるんですね。長男はマジシャンじゃないんですか?」

 「マニックはマジシャンじゃない。なんかアメリカで電気関係の会社を経営しているらしいよ」

 「それから、俺もあとの公演の段取りがついたら交代することになった」

 イワモトさんは、そう言うとゆっくりたばこの煙を天井に向けて吐き出しました。その様子は水槽の中の魚のように見えました。

 「俺も年なんだから、こんなことやってたらソーカーさんみたいにどさ回りの途中で死んじゃうよ。東京に戻って仕事するよ」

 「別の仕事が入ってるんですか?」

 「うん。入ってることは入ってるんだけど、当面、またジアン・ジアンのほうを面倒見てやらないとな」

 ジアン・ジアンというのは、渋谷にあるアングラ劇場です。イワモトさんは普段はそこの照明を任されていたのです。