And I Love Her(4)
自分のホテルにもどって、夕食までまだ時間があったので、部屋でたばこを吸いながらぼんやりとしていました。このころは、一日にショートピース3箱ぐらい消費していたから、30本は吸っていましたね。忙しいときはそれほど吸えないのですが、ショーがない日は自然と本数は多くなります。
ベッドにひっくり返って、何もすることがないので煙の輪っかをつくっては、それが天井へ昇っていき、やがて崩れる様子を眺めていました。
「ゲンちゃん。平山みきって歌手がいるんだけど、聞いたことあるかい?」
タニムラさんが、話し掛けてきました。フジモリくんが来てから、タニムラさんはフジモリくんと出掛けたり、話したりということが多く、少し僕との間は疎遠になっていました。僕はお酒を飲まないし、タニムラさんたちのようにこのクソ寒い中をパチンコしに行こうとも思わないので、一人でいるかドライバーのオオイシさんや、イワモトさんがいたときは彼ら年輩者と話して過ごすことが多かったからです。
「いや、聞いたことないですけど」
僕は、ほかの人たちからはゲンちゃんと呼ばれていました。猫屋敷源左衛門というのが僕の本名なのですが、子供のころから「猫ちゃん」と呼ばれることもあったけど、大体「ゲンちゃん」と呼んでくれる友達のほうが多かったですね。
「俺、昔ちょっとだけど付き合ってたことがある子なんだよ。仕事で知り合ってさ」
タニムラさんは、洗濯ものを畳ながら、ちょっとニヤニヤして話してくれたんです。自慢なのか照れからなのか、そのどっちもだったんでしょうが。
「最近売れ始めたんだよなあ。『ビューティフル・ヨコハマ』本当に聞いたことない?」
「もしかして、聞いたことあるかもしれないけど・・・」僕はそのころの歌謡曲にはあまり興味がなかったので、耳にしていたとしてもそれが誰の何と言う曲かなんて知るはずがないのです。
このころは、僕は家出をして先輩のアパートに居候していたし、そのあとは魔術団の地方巡業で旅の毎日だったので、音楽は移動中のトラックで聴くラジオか、あとは食事や休憩で入った喫茶店でたまたま耳にする音楽しか聴いていませんでした。
どこかで聞いていたとしても、興味がなければ誰の何と言う曲かも知らないし、覚えてもいないのです。
ノグチさんのアパートに居候していたころ、ラジオで良くかかっていたのは映画「白い恋人たち」のテーマ曲だったかな。1968年にフランスのグルノーブルで開催された冬期オリンピックの記録映画のためにフランシス・レイが作曲したんですね。
誰か日本の歌手が日本語の歌詞で「グルノーブルのジュウサンチ~」と歌っているのをしょっちゅう耳にしていましたよ。「ジュウサンチ~」は13日のことです。でも、ずっと「ジュサンチ」ってフランス語だと思ってました。
グルノーブルで行われたオリンピックの期間が13日間だったんですね。
あとはサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」とか、カーペンターズの「遙かなる影」、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」という曲も良くかかってました。
日本の歌謡曲では、森山加代子の「白い蝶のサンバ」。森山加代子は子供のころから僕の好きな歌手だったから、久し振りにヒット曲が出てうれしかったですね。
あとは藤圭子のが良くかかっていたと思いますが、曲名は分かりません。
タニムラさんと雑談していたのですが、そのとき誰かがドアをノックしました。
ドアの外には魔術団の男性の中では一番若いオニールが立っていました。
「ハバール、ハバール」と言いながら、手を口に持っていくしぐさをします。
「タルカリ、タルカリ」とも言いながら、何か食べるしぐさをするので、どうやら彼らと一緒に食事をしないかと、誘いに来たのです。
数日前に、彼らのつくるカレーを食べてみたいと言ったことを覚えていてくれたらしい。僕は喜んで彼らの招待に応じることにしました。
「おれ、辛いのは苦手だからいいよ」
タニムラさんを誘ってみたのですが、行かないそうです。