煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(5)

 わざわざ自分たちの宿舎から僕を誘いに来てくれたのかと思ってオニールに訊いてみたのですが、彼らインド人スタッフの男性陣は宿舎替えをして、僕たち日本人スタッフと同じホテルに移ってきていたのでした。

 彼らは、ホテルの厨房を借りて自分たちの食事を作っていました。

 厨房の外までカレーのにおいが漂っています。このホテルはインド魔術団の貸切りのようなものでしたから、他の客を気にする必要もなかったのです。

 

 部屋に入ると、カーペンターのおじいちゃんが大きな鍋でカレーを煮ています。

 僕のほうを振り返ると、前歯の欠けた口を開いて何か言っていますが、空調の音やインド人たちが賑やかすぎて、何を言っているのか聞こえません。

 ソーカー団長のひつぎを取り囲んで泣き崩れていた女性たちとは対照的な光景です。

 厨房の隣に広い部屋があって、そこに連れて行かれました。彼らもその部屋で食事をするようです。布団部屋なのでしょうか? 

 畳の部屋には家具も何もありません。テーブルもいすもないのです。

 部屋にはムラリーさんがいて、笑顔で僕を手招きします。こっちに来てすわれと言ってくれているのです。ニモールとオニールが出来上がったカレーを運んできました。

 カーペンターもホテルの炊飯器を抱えてきました。彼らは普段でもチャパティじゃなくて米飯を食べるらしいです。

 インドの米と日本の米は種類が違います。インドの米は粒が細長く粘り気の少ないインディカ米で、日本の米は粒が短くもっちりとして粘り気があるジャポニカ米です。

 炊き方も違っていて、インディカ米はパスタのように鍋でゆでて煮汁は捨てます。

 だから、余計に粘り気がないのです。その代わりに独特の風味と香りがあります。

 

 魔術団の人たちはインディカ米を持って来ていたわけではなくて、カレー用のスパイス以外の食材は現地調達で、H興行の人が買ってきてくれたもので調理していたのです。この日は、シャケの差し入れがあったということで、ぶつ切りのシャケが入ったカレーでした。北海道特産のタマネギやジャガイモも入っていて、見た目は日本のカレーと同じようなものでしたが、本場のスパイスをたくさん使っているので、香りがまったく違います。

 オニールは、日本の米はうまいが手ですくって食べるには、ちょっと食べにくいと言います。粘り気があるのでおにぎりをつくるのには良いけど、カレーと混ぜて手ですくって口に流しこむという作業には向いていないようです。

 もう一つ彼らのカレーと日本のカレーが違うところは、彼らの食べるカレーはスープみたいにサラサラしているのです。だから米と一緒に食べると思い切りスパイスの利いたお茶漬けみたいです。魚の入ったカレーは生まれて初めて食べますが、結構おいしいものです。

 魔術団の人たちはベンガル人ムスリムですから、豚肉は食べません。だから、彼らのつくるカレーは魚か鶏肉が入っていて、あとは野菜がたくさん入ったカレーです。

 カーペンターのおじいちゃんが盛んに話し掛けてくるので、英語が分かるムラリーさんに通訳してもらいました。

 カーペンターが言うには、「亡くなった団長には大変お世話になった。あの優しくて徳のある人がいなければ、自分は路上で行き倒れになっていたかもしれない。大恩人が亡くなってとても悲しくてつらい。しかし、ジュニアが来てくれたから、この日本での公演を頑張って成功させなければいけない。それは亡くなった団長が一番望んでいることだから。偉大なマジシャンであるP.C.ソーカーは日本のことを愛していた。だから、その日本の人たちにインドの魔術を見せて、彼らを喜ばせたいと思っていたんだ。だから、わたしは魔術は出来ないけど、おいしいカレーをつくったり、ショーがうまくいくように大道具を修繕したりして頑張るのだ」というようなことらしく、ときどき彼のスパイシーなツバが飛んでくるのではないかと思うような、大演説でした。

 

 この魔術団の人たちの思いは、ほんの一部かもしれないけど、僕にも理解出来たのでした。