煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(17)

 いすやテーブルを取っ払って大広間のようになったレストラン「オリーブ」の床には、カラフルなエスニック柄の敷物が敷き詰められていて、喪服を着た人々が座っている。

 ぼんやり眺めていた僕の脳裏にはある光景が浮かび上がってきた。

 ずいぶん昔のことだが、1984年の年末からインドやネパールを半年ほど旅行していたときの出来事だ。

 その旅の前半はダッカの空港で知り合ったフランス人カップルと一緒に行動していた。ブッダガヤにしばらく滞在してダライラマの大法要を待っていたとき、フランス人カップルの男性のほうの名前はジャン=イブと言うのだが、彼が法要はまだ1週間ほど先だから、その間にラジギールに行かないかと誘ってきた。

 断る理由はないから、ジャン=イブとシルヴィアのフランス人カップルと、僕と僕の家族、この辺は詳しく説明すると長くなるので、後で説明することにして端折るが、とにかくジャン=イブたちと僕は一緒にラジギールまで行った。

 ラジギールというのは古代インドのマガダ国の首都だったところで、王舎城という名前でも知られているけど、そこには温泉もあるし、霊鷲山(リョウジュセン)という釈迦が説法を行った山があるので行ってみたいと誘われたのだった。

 ラジギールは盆地にあるらしく、周りは岩山だらけの殺風景なところだった。

昔は賑やかだったのかもしれないが、町らしいものも見あたらなかった。

 そこにあるゲストハウスに三日ほど泊まった。結構大きなゲストハウスだったが、宿泊客は僕たちだけだった。

 温泉というのはヒンドゥー教の人たちが湯浴みをするところらしいのだが、夜出掛けたら電灯もついていないさみしいところで、月も出ていなかったので、真っ暗な中でジャン=イブとシルヴィアと僕の3人で温泉に入ったのだけど、お湯はぬるいし、あまりきれいな感じではなかった。

 

 温泉にがっかりした僕たちは、すぐ近くのレストランに夕食を食べに入った。レストランといってもテント張りで地べたに敷物が敷かれただけのお店で、あれはチャイハナという類に入るのだろうか。敷物はかなり上等なもののようだった。テントの店だからといってバカには出来ない。ランクとしては上の部類のレストランだったかもしれない。ヒンドゥー教徒のための温泉の前にあるからヒンドゥー教のレストランかというとそうではなくて、イスラム教の人たちが食べに来るレストランだった。

 

 ラジギールは良く知らないが、仏教の聖地であるのと同時に、巡礼者もやってくるらしいから、ヒンドゥー教イスラム教にとっても大事な場所なのだろう。

 入り口に風呂屋の番台みたいに小さな机を置いてひげのオッサンが座っている。レストランの主人らしい。

 中は結構広くて詰めて座れば30人ぐらいは楽に座れそうだ。発電機をつかっていたのか、良く覚えていないけど白熱電球がいくつもぶら下がっていて明るかった。

 インドは電力事情が良くないので、しょっちょう停電するし、僕らが泊まったゲストハウスも節電のために暗かった。

 だから、このテントのレストランの明るさには驚いた。まあ、外があまりにも暗かったので余計に明るく感じたということもあっただろう。

 

 一番奥の落ち着いて食事が出来そうなところに、僕らは座った。そこには先客が一人いた。その先客にもちょっと興味を持ったのでその場所を選んだということもある。

 かっぷくの良い、おだやかな、そして知的な雰囲気を漂わせた老人が座っていたのだ。灰白色の長いあごひげをたくわえた、ちょっと見にはサイババとかラジニーシみたいな雰囲気の老人に見えないこともないが、ああいうバッタもんじゃなくて、本当におだやかで知的な雰囲気の人だった。

 話の内容から、イスラム教の結構えらい人ではないかと思った。

 お坊さんかどうか分からないのだが、僕らはこの老人のことをお坊さんと呼んでいた。お坊さんはきれいな英語を話した。それまで僕がインドで知り合った連中はあまり英語がうまくなかった。僕自身が受験英語を一生懸命に思い出しながらのブロークンイングリッシュでしか話せないので、あまり他人のことは言えないのだが、貧乏旅行ゆえにあまり高学歴の人と出会うこともなかったので、フランスなまりのジャン=イブたちの英語がまあまあましなほうだった。

 お坊さんは、イスラム教というのは唯一にして絶対なる神への信仰だというようなことを繰り返し話した。石の像を拝んだり、金ぴかの神像や仏像を崇拝するのはバカげていると、笑いながら話してくれた。

 

 そのお坊さんが座っている場所はテントの一番奥で、お坊さんの後ろにはカレンダーなのかポスターなのか大きな絵が印刷した紙が張ってあって、その絵に描かれているのは有名な聖地であるサウジアラビアのメッカ、その巡礼者たちがひしめきあうマスジド・ハラームの光景であった。

 そういう絵を背にして座っている教養のありそうな老人を見て、僕もジャン=イブも、彼はきっとイスラム教の高僧に違いないと思ったのだ。