Smoke Gets In Your Eyes

猫と煙のお話

And I Love Her(29)

   1971年6月18日。
 僕は朝の体操の時間に取調室に呼び出された。黙秘するつもりだったから、別に話すこともないし、それに体操の時間にたばこが吸えるのだが、その楽しみを奪われたのも面白くなかった。
 しぶしぶと出ていく僕に、詐欺師のおじさんは「いいなあ、これから調べだと昼飯おごってもらえるぞ。うまいもん食って来いよ」と声をかけてきた。
 「ゆうべはカツ丼食べてきたんですか?」と、僕は昨夜聞こうと思って忘れていたことを尋ねた。
 「おお。特上のカツ丼食わせてもらったよ」と言っておじさんは笑っている。
 でも、おじさんは根っからの詐欺師なのだ。どこまで本当なのか分からない。うそと本当がモザイク模様のように入り交じっていて、よほど注意していないとだまされてしまいそうだ。

 

 取調室はテレビの刑事ドラマにそっくりの狭い薄暗い部屋だった。
 机の前にはげ上がった小太りの刑事が座っていた。その脇に痩せて目つきの悪い刑事が立っている。
 座っているほうの刑事は50歳前後。立っている痩せたほうはまだ30代ぐらいだろう。
 僕は年上のほうの刑事に促されて、向かい合う形で机の前に座った。
 「君は長崎から出て来たのかい?」小太りの刑事が尋ねた。
 「………………」僕は黙っていた。
 「前にも逮捕されてるだろう。調べはついてるんだよ」若いほうの刑事が意地悪く言い放った。

 実は、逮捕されたのはこのときが初めてではなかった。その3年前に逮捕されていたのである。


 全学連大会に参加しないかと先輩から誘われて、夏休みに中央大学の講堂で開かれた三派全学連の全国大会に参加したのだ。全学連全日本学生自治会総連合)は当時3つあった。共産党に指導されていた民青系の全学連革マル派全学連、それに中核派社学同マル戦派・社青同解放派の三派全学連があったのだが、三派全学連のほうは主導権争いや内部対立が激しくて、離合集散を繰り返していた。
 僕が参加した1968年の夏休みに開催された全学連大会では、三派全学連から路線対立のために中核派が抜け出て、社会主義学生同盟(ブント)と反帝学評(社青同解放派)と第四インターによる反帝全学連が結成された。
 このとき、やはり会場内の場所とりや主導権争いによるものと思うが、赤ヘルメットのブントがいきなり準備していた竹ざおで青ヘルメットの反帝学評を攻撃して、会場から閉め出した。


 僕は青いヘルメットをかぶって反帝学評のグループにいたのだが、なぜそういう状況になったのか分からなかった。分からなかったが、とにかくケガをしたくないので、逃げた。
 会場の外に出ると青ヘルメットの反帝学評は、明治大学に移動するというのでそちらに行った。
 このころ中央大学も神田にあったので、明治大学までは近かった。
 明治大学に移動すると、赤いヘルメットの頭頂部に白い線が入った、いわゆるモヒカンヘルメットをかぶった連中が結集していた。社学同ML派と呼ばれるグループだった。MLはマルクスレーニンの頭文字なのだが、彼らは毛沢東派と呼ばれるほど、毛沢東に傾倒していた。

 

 彼らは新左翼の中でも武闘派として知られていた。内ゲバといってもまだ角材や竹ざおで殴り合いをしているときだったが、明治大学に結集していたML派は全員鉄パイプを手にしていた。その鉄パイプで足元のコンクリートを「カチーン、カチーン」と打ち鳴らしながら「〇〇ぶっころせ!」と敵対する党派への呪詛を唱和しているので、実にぶっそうな連中だと思った。

 

 まあ、そういう内ゲバ騒ぎのさなかに僕の第一回目の逮捕は行われたわけである。

 当時の学生言葉に「ショーモーする」という慣用句があった。「ショーモーする」は「消耗する」という意味である。「つまらないことにエネルギーを使ってしまった」というようなニュアンスのなげきの言葉である。

 日ごろ「70年安保粉砕」とか「沖縄解放」とか「ベトナム戦争反対」とか言っていながら、全国の大学自治会の代表が集まって集会の指導権を誰がとるかとか、新たに結成される「反帝全学連」の執行部役員をどの党派がとるかとか、そういうことで衝突を繰り返し、警察に介入するチャンスを与えて大勢の逮捕者を出す。そういうことの繰り返しにしか僕には思えなかったので、本当に「ああ、ショーモーだな」という気分にならざるを得なかったのである。

 

 取調室の話に戻ると、痩せて人相の悪い若いほうの刑事がドスのきいた声で言った。

 「佐橋くん。大学はもう辞めちゃったのかね?」

 僕は黙っていた。左翼の運動にもショーモーしてゲンナリしていたが、だからと言って彼らに話すことなど何もないからだ。

 「きみたち、早く捕まって良かったよ。昨日の集会に出ていたら大変だったかもしれないね」

 僕にはその言葉の意味が分からなかった。

 年輩のほうの刑事が説明してくれた。

 「きのうの明治公園での集会でね、爆弾投げた連中がいたんだ」