Smoke Gets In Your Eyes

猫と煙のお話

And I Love Her(38)

 2週間後、ノブコは長崎に帰ってきた。

 彼女の大学時代の友人が夫婦でやっている小さな自然食とコーヒーの店で会うことになった。その店が出来たばかりのころには僕も何度か行ったことがあって、その夫婦とも顔見知りだった。

 オフィス街にあるので昼時は混むだろうと思って、ノブコと3時に会う約束をしていた。その店に僕が着いたのはまだ3時前だったのだが、先にノブコは来ていて友人夫婦と談笑していた。

 カウンター越しに話している3人に向かってあいさつをすると、ノブコはこちらを笑顔で振り返った。

 「お久し振り」20年のブランクを感じさせず、彼女は少しも変わっていないように見えた。それでも、近くで見ると少し白髪が混じっているようだった。

 「お客さんいないから、どこでも好きなところに座って話したらいいよ」

 マスターが気を遣って言ってくれた。

 

 僕とノブコはカウンターから少し離れて二人用のテーブルのところに行った。

 「おなかすいてるから何か食べようかな」ノブコが言った。

 「おれも昼ごはんまだ食べてないんだ」ランチタイムは過ぎていたので、僕は玄米ピラフとホットコーヒーを、ノブコは紅茶とスコーンを頼んだ。

 

 「手術うまくいったんだね」

 「うん。人工肛門つけるのかなと思ったとけど、つけんでもいいって」ノブコは地元に帰って長崎弁になっていた。

 「そうか。じゃあ、まずは退院おめでとう。仕事はまだ復帰してないんやろ?」

 「長崎に2、3日いて東京に戻ったら、また仕事始めるよ」

 「まあ、ムリせんごとね」

 「ありがとう。あたしね、佐橋くんに会いに長崎に帰るって主人にも言ってるとよ」

 「ああ。ダンナは元気?」

 「まあ、元気は元気やけど、なんか最近仕事が面白くないみたい」

 「最近は漫画ブームで本屋に入っても本棚の半分以上漫画だったりだしね。固い本読まなくなったからなあ」

 「そう。本も読まんし、書評とか読む人もだんだんいなくなったとよ」

 ノブコが結婚した小西さんは「読書新聞」という図書館や書店向けの新聞の編集者なのだが、以前「読書新聞」はどこの本屋に行っても置いてあったのだが、最近はあまり見掛けなくなっていた。

 

 「あたしね、佐橋くんとのこと主人に全部話してると」

 「全部? 全部って全部か?」

 「うん」ノブコはいたずらっぽく笑っている。

 小西さんとはチヒロさんの家で何度かあったことがある。二人で話したことはなかったのだが、あるときチヒロさんの原稿が仕上がるの待っていた小西さんと、チヒロさんの奥さんのユキコさんと三人で、茶の間でコーヒーを飲みながら雑談していたときのことだった。

 何の話からそういうふうになったのか覚えてはいないが、「おれはこの先、野垂れ死にするしかないな」と僕が言ったんだと思う。そのころ大学を辞めて、彼女と別れて、友人たちのように就職しようという気も起こらず、なんとなく虚無的になっていたのだ。すると、すかさず議論好きのユキコさんが「あんた、なにかっこつけてんのよ」とツッコミを入れてきた。

 「野垂れ死になんかしないでしょう? 仕事だってしようと思えばなんだって出来るんだし」ユキコさんは新宿ゴールデン街のバーでアルバイトをしているので、インテリの酔っ払い相手に議論するのは日常茶飯事なのだ。まして、大学中退左翼くずれの青二才のかっこつけのニヒルなんて、屁のようなものでちゃんちゃらおかしいのだ。

 そのとき、僕はなんと言って反撃したのか覚えていないのだが、やりこめられている僕がかわいそうになったのか、小西さんが一緒になって反論してくれたのだった。

 文学青年ぶったところもなく、実直な人だという印象だった。

 その人とノブコが結婚したと知ったとき、僕は正直安心したのだった。