江頭さんのこと5
あれからずっと大村さんには会っていない。
だから彼女に謝る機会もないのだけども、このことはずっと僕の頭の中から消えない。
もちろん、上司は死んだわけではない。刑事事件にもなっていない。
戦争が終わって間もないころで、人々の気持ちは戦争中よりもっと荒々しかったのだと思う。仕事がない。食糧がない。そして何より戦場から戻ってきた男たちにしてみれば、「一億玉砕」だとか「聖戦」だとかわめき散らして連中が、まるで手のひらを返したみたいに、進駐軍に取り入って役職に就いたり、商売を始めたりしている。
特攻隊などという人命を粗末に扱い、勝てるはずがない作戦を美辞麗句で飾り立てて、若者たちを煽り、無駄死にさせた作戦を思いついた張本人は責任を取ることもなくのうのうと戦後それなりの役職に就いている。
芳郎おじさんの上司がどういう人物かは分からないが、おじさんにもそういう鬱憤があったのだろうと思う。
ほっそりとした、オードリー・ヘップバーンに似た人だった。
僕は同じ年頃の男の子たちよりウブだったのだろう。西村美智子を介して大村さんから「好きだ」と言われたとき、正直言って僕はどうしたらいいのか分からなかった。
今だったら、ひどく厚かましいジジイになってしまったので、「ありがとう。僕もだよ」とか言うのかもしれないが、そのとき思ったのは、「では、この先どうすればいいのだ? 大村さんとデートでもして、どこかひとけのない海岸でキスでもしたらいいのか? そしてその先は?」と、瞬時に先のことが想像されてしまったのだ。
いや、まだ中学生なんだから、キスなんか出来ないじゃないか。
僕は、ウブなくせに、そういう想像力においてはませていたのだ。
そんな混乱の中で、ひょいと僕の中の暴力性がああいう行動を取らせたのだ。
結局、ハッピーストアで会って以来、大村さんと会うことはなかった。
彼女が、この町に住んでいるのかどうかも分からないのである。
江頭さんに頼まれたパンと弁当を届けて、釣りを渡すと、彼は1000円札を差し出して「ガソリン代に取ってください」と言った。
「いや、すぐ近くやけん、ガソリン代とか要らんですよ」と僕は断った。
「そんなら、あとでまとめて…」と江頭さんは言うと、「ありがとうございます」と深々とお辞儀をした。
江頭さんのこと4 菓子パン
漁港近くの最後の1軒に新聞を届けると、僕は約束通りに江頭さんの家に寄った。
明かりのついていない家の中で、LEDの小さな懐中電灯の光に、上がり框に腰掛けた江頭さんが浮かび上がって見える。
入り口のガラス戸を開けると、江頭さんは腰掛けたまま後ろの方に手を伸ばして何かを掴むと、手にした小さな紙切れを懐中電灯で照らした。
その紙を覗き込む江頭さんの顔は、さらに痩せ細って、頬はこけて、長く洗っていない髪は白くくすみ、薄くなった頭に無造作に張り付き、まるで畳いわしのよう、いや、へちまを輪切りに薄くスライスしたような感じで、白髪や少し灰色になった髪がネットのようになって頭皮に張り付いている。
きっと長い間、風呂にも入らず、髪も洗っていないのだ。
江頭さんは紙切れを差し出しながら、「パンば5個と弁当ば1つ、買うてきてください」と言った。
紙切れは半分に切られたレシートで、レシートの裏には小さな字でメモが書かれていた。しかし、室内は暗く、僕自身老眼でその小さな字で書かれたメモを読むことができなかった。
「ちょっと字が小さくて読めんとですけど、パンば5つと、ええと、弁当1つですかね、買うて来るんですよね?」
江頭さんは頷いた。
「パンはどんなパンですか?」
「すぐ食べられるとがよか」
「そしたら菓子パンのごたるとですかね?」
江頭さんはまた頷いた。
「で、弁当はどんな弁当ですか?」
「そこに書いとるばってん。ハンバーグかチキン南蛮の弁当がよか」
いや、こんな小さな字、レシートの裏に書いた字なんか読めるはずがない。
「暗かとこで、ようこがんこまか字ば書きますねえ」
江頭さんは答えずに笑った。
「私はメガネもなか、暗かけん読みきらんですね」
僕は苦笑いして言った。
「菓子パン5個とハンバーグ弁当か、それともチキン南蛮ですね」
江頭さんは嬉しそうに頷き、「これで足ると思うけど」と千円札を2枚差し出した。
表に出た僕はバイクのエンジンをかけて、国道沿いにあるハッピーストアに向かった。ハッピーストアは夜9時閉店だ。まだ8時過ぎたくらいだから弁当も残っているかもしれない。
ハッピーストアは客がまばらだった。
以前よく買い物に来たことがある店だったが、もう何年もここで買い物をしたことはなかった。
弁当売り場は入ってすぐのところにあった。商品の棚に並べられた弁当もそれほど多くはなく、チキン南蛮はなかった。ハンバーグ弁当が1個だけ残っていた。
それからパンが並んでいるコーナーを探した。
レジの近くに菓子パンの陳列台があった。並んだパンの中からメロンパンとあんパン、クリームパン、チーズパン、あと1個は何を食うかと考えたが、もう1個白あんのあんパンがあったのでそれで5個そろった。
大きめのレジ袋を1枚取り、会計してもらう。
パンもなるべく安いのから選んだし、弁当も1個残ったハンバーグ弁当には30%引きのシールが貼られていたので、千円で釣りが来た。
こんな時間にスーパーで買い物をしたことはなかった。
最後にこのハッピーストアで買い物に来たのはいつだったか、もう何年も前のことで、はっきり覚えていない。そういえばこの店で大村さんと会ったな、と記憶が少し蘇ってきた。その時は、連れ合いと義理の母が一緒だった。
2人が買い物してる間、何かを探すわけでもなく、僕は1人で店内をうろついていたのだが、その時大村さんと会ったのだった。
彼女は1人で買い物に来ていた。「あらっ」と少し驚いたように小さな声を上げて目を丸くした。
「こんにちは」
僕も少し驚いて小さな声で挨拶をした。
大村千鶴子さんは中学の時の同級生で、小柄な可愛い子だった。彼女はそのまんま大人になっていた。相変わらずきれいだった。
彼女は会釈をすると、別のコーナーへと歩いて行った。
彼女がいなくなると同時に、僕は卒業式の日のことを思い出した。
校舎と校舎の間にある花壇のところにその時僕はいたのだった。
西村美智子と大村さんが近づいてきた。
西村美智子はちょっと不良っぽい子だったが、僕の隣の席だったから仲は良かった。
休み時間に他愛もない話をしたりする相手だった。
話し方がヤンキー風だったけど嫌いじゃなかった。彼女と話すのは楽しかったし、正直言えば好きだったのかもしれない。
西村美智子はつかつかと僕のとこに歩み寄ると、唐突に言った。
「ねえ、千鶴子ちゃんがあんたのことが好きだって。付き合ってやらんね」
僕は驚いた。西村美智子の口からそんな言葉を聞くと思わなかった。それで隣にいる 大村千鶴子さんを見ると、彼女は少し頬を赤らめてうつむいている。
僕はその時混乱していた。どう対応していいか分からなかった。決して大村さんのことが嫌いだったわけじゃないが、こんな場所でこういう形で、しかも西村美智子を通して彼女の好意を告げられるとは思わなかったし、僕にとってそれは何かものすごく恥ずかしいことだという気もしたし、理由は分からないが、ひどく腹立たしくも思えた。
僕も唐突な対応をした。
いきなり大村千鶴子さんの頬を叩いたのだ。なんでそんなことをしたのか今でも分からない。
その瞬間、大村さんはびっくりして、驚きと不安と、全くこの状況が理解できないという目で僕を見た。
西村美智子も僕の方を見ていたが、次に「ええ?あんた何ばしよっと」と言った。
僕は居たたまれず背を向けて逃げた。彼女たちから遠ざかっていったのだ。
西村美智子も「行こ、行こ。もう、あの人なんば考えとるとか分からん。行こ」と言って大村千鶴子を連れて、また校舎の中に入って行った。
僕が大村千鶴子さんと会ったのはそれが最後だったかもしれない。その後彼女はどういうふうにしたのか、どういう気持ちだったのか、想像はできるが、直接会ったこともないし、話も聞いたこともなかった。西村美智子ともそれから長いこと会ってなかった。
時折、大村さんのことを思い出すこともあった。どこかで会ったら謝らなければならない。なぜあんなことをしたのか僕には分からないが、とにかくひどい叩き方ではなかったと思うが、彼女に対して暴力をふるったことは事実だし、彼女をひどく傷つけたことも事実だ。
だから本当に心から謝らなければならないと思っていたが、ずっと会うことはなかったのだ。
江頭さんのこと3 買い物の依頼
正月あけのある日、夕方になると僕はいつものように新聞配達のバイトに行った。
クリスマスのころまで、それほど寒くはなかったのだが、1月に入ると急に寒さが厳しくなった。
江頭さんの家の前でバイクを停めると、その先の釣り具屋さんのシャッターが閉まっているのに気がついた。そして、シャッターには黒枠の紙が貼られている。
新聞を受け取りに出て来た江頭さんに僕は尋ねた。
「中野釣具店、どなたか亡くなられたんですか?」
「うん。お母さんがゆうべ亡くなったらしか」
「お母さんて、中野さんのお母さんですか?」
「そう。ばあちゃんのほう」
「あの、いつも店番してたおばあちゃんですか?」
「そうそう。毎晩店番ばしよらしたごたるね」
中野釣具店の前にバイクを停めて、シャッターのスリットから新聞を入れて、張り紙を見てみると、確かに黒枠に「忌中」と書かれている。いつまで休業するとか、葬式の日にちとかは書いてない。
釣具店の向かい側にある調剤薬局で、薬剤師さんに新聞を渡しながら中野さんのおばあちゃんのことを聞いてみると、おばあちゃんは昨夜遅く、就寝中に大動脈解離で亡くなったのだという。
昨日、僕が中野さんの店に新聞を届けたときは、いつものようにおばあちゃんは、レジのところに座って店番をしていた。
そんなに急に亡くなるなんて思いもしなかった。
もっと若いと思っていたが、89歳だったそうだ。
とても元気で、雨の日など「きょうは雨で大変だね。ありがとう」とねぎらってくれる、優しいおばあちゃんだったのに。
有明日報の購読者は高齢者が多い。この寒い時期にこうして配達先の誰かが亡くなるということは希ではない。そして、家族の中で購読者であった老人が亡くなると、購読中止ということになる。
10年間も毎日100軒の家に配達していると、購読者だけでなく、その家の飼い犬にも移り変わりがある。
敵意はないものの、飼い主に対する申し訳程度に、僕に吠えていた中型で茶色の、本当は人なつっこいワンコも、あるときから元気がなくなり、吠えなくなったと思ったら、犬小屋に姿がなくなっていたりするのだ。
新規の購読者がないわけではないが、やはりみんな新聞を読まなくなっている。僕自身も、以前購読していた朝日新聞もやめてしまったし、新聞は病院の待合室ぐらいでしか読むことがない。
釣具屋のおばあちゃんが亡くなってから1週間後のことだった。
江頭さんの家にバイクを停めて、出入り口のガラス戸を引き開ける。
この頃は、江頭さんも寒いのと、少し体力が落ちているのか、自分から外に出て来ることは少なくなっていた。
江頭さんはいつものように上がりがまちに腰掛けていた。
電灯はついていなくて、江頭さんは懐中電灯を手にしている。
停電じゃないことは明らかなのだ。商店街の街灯も釣具屋さんの店内も明るい。
僕も経験がないわけじゃない。きっと電気を止められたんだ。
江頭さんは、少しふらつきながら入り口のすぐわきにあるトイレのドアに片手をついて、腰を上げると、「配達は何時ごろ終わりますか?」と言った。
「あとは、向こうの漁港近辺で何軒か配ったら終わりですから、15分ぐらいで終わりますよ」
「終わったら、あとで寄ってもらえませんか?」
「はあ…?」
何の用事だろうか。
「ぎっくり腰で動ききらんごとなって、買い物にも行かれんとですよ」
江頭さんは、片手でトイレのドアノブにつかまって言った。
「ハッピーストアでパンばこうてきてもらえんやろか?」
「ああ、いいですよ。じゃ、あとで寄ります」
そう返事をしながら、暗い室内を見回すとそこら中に新聞紙や郵便物や、広告のチラシや、レジ袋が散乱している。
僕が気付かないうちに、もと薬屋さんだった江頭商店はゴミ屋敷になりつつあった。
江頭さんのこと2

江頭さんの下の名前は知らないが、名字が江頭であることは本人に確認済みである。
古い薬屋さんの建物は、かなり大きくて立派だ。二階建ての建物の側面は昔良くあったような茶色っぽい砂壁で、その上には「江頭商店」という文字がレリーフになっている。この看板文字には前から気がついていたから、そこに住む老人が江頭さんだろうと想像はついていたのだが、古い建物だから本当に住人が江頭さんなのかどうかは、本人に確認するまで分からなかったのだ。
新聞の購読者の名前の確認ぐらいだったら、会社の事務員に聞けばすぐ分かることだが、一度本人に聞いてみたいと僕は思っていたので、そういうことはしなかった。
江頭さんに名前を聞くついでに、「ここは以前薬局だったのですか?」と尋ねてみた。江頭さんは、少し誇らしげに「うん。じいさんの代からの薬屋で、私が三代目」と答えた。建物も大きくて立派だから、相当裕福な家だったのだろう。
2年前ぐらいまで江頭さんの家の前に、たまに軽トラックが停まっていることがあった。家の中は、昔の商家らしく狭い土間があり、奥は一段高くなった畳敷きになっていて、そこにたけの低いガラスケースが並んでいる。以前はその中に商品が並んでいたのだろう。
玄関から入ってすぐの上がりがまちに江頭さんが腰掛けて、軽トラックの人と話をしているところも何度か見たことがある。
それが最近は、まったく人が訪ねてくる様子はなく、玄関以外のガラス戸につるされたカーテンは日焼けして、その一部は破れて垂れ下がっている。
急激に寂れてしまったのだが、何があったのだろうか。
それでも僕は江頭さんと名前を聞く以上の会話をすることもなく、毎日ただ新聞を届けるだけの関係だった。
いつしか、江頭さんの家の前でソラマメを見ることもなくなっていた。
クリスマスが近づいているある冬の日、江頭さんの家の前におもちゃのトラックが置いてあった。トラックには小さなLEDの電球が付いていて、それがクリスマスのイルミネーションのようにピカピカと点滅している。
新聞を受け取りに出てきた江頭さんに、「トラック、きれいですね」と声をかけると、彼は嬉しそうに「トラック野郎、知っとらすね?」と聞き返してきた。
「映画の『トラック野郎』ですか?」
「うん。菅原文太の映画。見らした?」
「いいえ。映画は知っとるけど、見たことはなかですね」と、僕は答えた。
「ああ、ほんとね。わたしはあの映画が好きでね。これはラジコンで走るとやもん。『トラック野郎』の流行っとるころ、買(こ)うたと」
「へええ。そうなんですか」
「おんなじとば2台持っとるとよ。もう一台は箱から出さずに取っとるけん、テレビの鑑定団に出してみようかて思うとるとさ」
江頭さんは、そのことを誰かに話したかったらしく、言い終わると嬉しそうに家の中に入っていった。
江頭さんのこと1
夕方になると僕は、日曜・祝日を除いて江頭さんの家に毎日通っていた。
それは、この町のローカル新聞「有明日報」を配達するためだ。
有明日報は、わずか2ページのタブロイド紙で、記事も決して多くはなかった。
それでも、市議会の様子や市内の学校で行われた行事の報告、あるいは「山から野生の猿が町中まで下りてきているので、ひっかかれたり噛みつかれたりしないように注意してください」といった注意喚起まで、この町に暮らす人々にとって身近で必要な情報を提供していた。
とくに、市議会選挙の時期や、県職員・教職員の人事異動の発表時などには、重要な情報源として重宝され、1万人を超える読者がいた。
有明日報は創刊からすでに150年以上の歴史があり、日露戦争のとき田舎の小さな新聞社でありながら、日本海海戦の速報を号外として出したというので、知る人ぞ知るという新聞なのだが、時勢には逆らえずインターネット時代の到来とともに年々読者は減っている。
読者の多くが高齢者であり、亡くなったり老人ホームに入所したりすることで、購読が中止されていくのである。
江頭さんに新聞を届けるのは、僕が新聞配達のバイトを始めたころからだから
もう10年以上になる。
それだけ長い付き合いだったのに、つい最近まで、彼の名前すら知らなかった。
江頭さんの家は、昔ながらの商店街の一角にある。
昔からの商店だったようで、幅三間の道に面した部分はすべて、6枚のガラス戸が並んでいる。
その内側には、陽にさらされて色あせたカーテンが垂れ下がっていて、中の様子は見えない。
かつては薬屋だったのだろう。
ガラス戸には、風邪薬のポスターが貼られている。こちらもすっかり日焼けして、文字も色も判然としない。
いつものように、僕は家の前にバイクを停める。
すると決まって、バイクの排気音を聞きつけた江頭さんが、一番端のガラス戸を開けて現れる。そこが彼の出入り口なのだ。
小柄で痩せた老人が一言礼を言うと新聞を受け取り、そしてすぐに家の中へ引っ込んでしまう。
この無言のやりとりが、何年も続いていた。
ある年の5月のころ、僕は江頭さんの家の前に、いくつものプランターが並べられているのに気づいた。
プランターにはソラマメが植えられていた。つやつやとした豆のさやが、陽を浴びて並んでいる。
その日、僕は初めて江頭さんと少しだけ言葉を交わした。
いつものように新聞を取りに出てきた江頭さんに、僕は声をかけた。
「ソラマメ、よく育ってますね」
「うん、もうそろそろ食べ頃やろね」
しわだらけの顔をほころばせながら、江頭さんが笑う。
その日は、それだけの会話だった。
それから秋になるまで、僕らの間に言葉は交わされなかった。新聞を届けると、江頭さんは無言で軽く会釈をして、静かに家の中へ戻っていく。それが、いつものやりとりになっていた。
季節が進み、秋も深まってくると、日が沈むのがぐっと早くなる。
100軒近い家に新聞を配り終え、商店街にたどり着いた頃には、あたりはすっかり夜の顔をしていた。江頭さんの家の前にバイクを停めると、ちょうど玄関から彼が出てきた。
空を見上げながら、ぽつりと言う。
「今夜の月は、きれか」
僕もつられて空を見上げる。商店街の空に、満月がくっきりと浮かんでいた。
「ほんとですね。きれいですね」
そう答えると、江頭さんは嬉しそうにうなずき、家に戻っていった。
僕も短く「どうも」と言い、再びバイクのエンジンをかける。
商店街の配達を終え、次は僕のルートの最後――漁師町へ向かう。
低い瓦屋根の家が軒を連ね、狭い路地がまるで迷路のように入り組んだ、昔ながらの町。車は入れず、バイクでなければ配達できない。
何軒かに新聞を配ったあと、僕はバイクを漁港の前で停めた。
漁船がずらりと並ぶ岸壁の先に、夜の海が広がっていて、空には満月が煌々と輝き、その光が漁船と静かな水面を照らしている。
ひんやりとした浜風に吹かれながら、僕は残りの家々へと新聞を届けていく。
And I Love Her(22)
葬儀屋のハイエースが「フォーンフォーン」とお別れのクラクションを鳴らして動きだした。
葉沼くんがアンプのボリュームを上げると、BOSEのスピーカーから大音量でビートルズの「ドライブ・マイ・カー」が流れ出した。僕は驚いて葉沼くんの顔を見た。
彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「『礼子が好きだった曲をガンガンかけて送ってくれ』って島崎さんから言われてるんですよ」
確かに礼子さんを見送るにはこの曲は似合っていると僕も思う。真っ赤な口紅が似合う女性だった。車も好きだった。島崎さんとは大学生のころからの付き合いで、卒業と同時に結婚。お金を貯めて初めて買った中古車が黄色のフォルクスワーゲンビートル。その車でいろんなところに行ったと話してくれた。
ほんのしばらくだったけど、僕は島崎さんのレストラン「オリーブ」でアルバイトしていたことがある。調理なんか出来ないから、掃除や皿洗いの仕事だった。
金銭的にも精神的にも僕にとって一番苦しい時期だった。
出掛けるにもガソリン代もないという生活だったし、兄や姉にも頼ることも出来ず、それまでの友人とも疎遠になっていた。
保険会社の営業もやってみた。バブルのころだったから、要領良く世間に合わせてやっていける人なら楽に稼げた時代だったかもしれないが、僕には苦痛だった。
財閥系の有名な保険会社だった。東京の研修所で研修も受けた。東京までの往復の飛行機代はもちろん会社で出してくれた。営業所の事務員さんがチケットを取ってくれたのだが、驚いた。その保険会社は全日空の大株主だったから割引きで買えたのだ。
僕は大学を早々に辞めてから、まともな会社で働いたことはない。そういう大きな会社のビジネス事情というものには疎いし、まったく関心もなくそれまで生きてきたのだ。
東京の研修所に来ていた僕以外の連中は、ほとんど地方の地主や資産家のボンボンたちだった。そこで彼らが受けた指導は、保険会社と同系列の銀行から土地を担保に融資を受けてビルを建て、そのビルを貸して収益を得るというやり方であった。もちろんそのビルには保険がかけられる。そのためにお金持ちのボンボンや親族が保険代理店をつくって運営するのである。
僕にはまったく縁の無い話だった。親戚に資産家がいないこともなかったが、ある事情で親戚とも友人とも疎遠になっている時期だったから、そういう人脈に頼るということは土台無理な話だった。
東京での研修は僕にとって無意味だった。地元に帰って、飛び込みの営業をさせられた。毎日が憂鬱だった。年老いた母親は認知症が始まっていて、夜中に徘徊した。
死にたいと思ったことも何度もあったけど、それは無責任だろうと思ったので死ななかった。子供のころから自分のことを無責任な人間だと思っていたのだが、意外だった。小学校の通知表にも「責任感がない」と書かれたこともあったのに。
それで保険会社は逃げるようにして辞めた。
だけど、どうしても現金は要る。水道代も電気代も払わなければならない。子供もいたから学校にもお金がかかるし、もちろん毎日食事しなければ生きてはいけない。
ある日テレビで、電気代が払えない家庭が電気を止められて、子供たちがろうそくで勉強をしていたら、そのろうそくが原因で家事になり焼け死んだというニュースを見た。僕はこらえきれずに声を上げて泣いた。自分たちも似たような状況だったから、その子供たちがかわいそうでならなかったのだ。世の中は株価がいくらになったとか、ニューヨークのビルを日本の企業が買ったとか、保険会社がゴッホの絵を買ったとか、高級車が飛ぶように売れているとか、そういう話でにぎわっているというのに、一方で電気を止められたために子供たちがろうそくで勉強しなきゃいけないのだ。そのために焼け死んだんだ。
ビートたけしが「いまの時代、貧乏な家庭というのは絶滅危惧種だから、貧乏人を見学しに行くという観光旅行が流行るぞ」なんていうバカ話をしているころの話だ。
毎晩大勢の若者がマハラジャやジュリアナ東京でどんちゃん騒ぎをしているころの話だ。
そういうわけで、僕は島崎さんの店でアルバイトを募集していることを知って、「オリーブ」を訪ねたのだ。
礼子さんに「バイトしたいんだけど」と頼むと、ちょっと困惑したような表情を浮かべた。友達を雇うということに抵抗があったようだ。僕にも良く分かる。
そのために関係性が変わってしまうことに抵抗があったのだ。
それでも快諾してくれた。何も訊かれなかったが、うすうす事情は分かっていたのだと思う。
僕が「オリーブ」で働いていたころ、礼子さんはカメラにはまっていた。「オリーブ」のすぐ裏には海が迫っていたので、海の写真も良く撮っていたようだ。周りにはあまり家もなく近くを走る国道沿いに農地が広がっている。道端に咲く小さな花を撮った写真を見せてもらったこともあった。
「礼子さん、ありがとう。また会えるよね」
僕は出て行く黒塗りのハイエースを見送りながらつぶやいた。
And I Love Her(21)
司会進行は葉沼くんがやったのだが、一応葬儀屋さんも来ていたらしく、祭壇の前に置かれていた礼子さんの棺を黒服の男たちが抱えて、部屋の中央に置いた。
「お別れの時間となりました。名残惜しいですが、皆さんどうぞ故人の周りにお集まりください」葉沼くんが言い終わらないうちに、あちらこちらですすり泣きが始まった。ほとんど僕の知らない人たちだ。礼子さんの親戚の人たちなんだろうか。
その人たちはハンカチで涙を拭いながら棺の周りに集まって来た。代わる代わる棺の中の礼子さんを覗き込んで、「礼子ちゃん、あたしももうすぐそっちに行くからね」とか「礼子さん、今まで仲良くしてくれてありがとう」とか、「お疲れさまでした。安らかにね」とか声を震わせながら言っている。
「礼子、おれより先に逝っちゃダメじゃないか」というだみ声が聞こえてきた。かっぷくのいい白髪頭の男性が棺の中に顔を突っ込むようにして別れを告げている。どうやら礼子さんのお兄さんらしい。
それから棺のふたに釘を打つという儀式が始まった。島崎さんと息子や娘たちが川原の石のように丸くなった石を握って釘を打つしぐさをしている。
実際に打ち込んでいるのかどうか分からない。僕はあのパフォーマンスはやったことがないからだ。金槌で打ってはいけないという決まりがあるらしい。
「どうして金槌で打ったらいけないのかね?」
BGM用のCDをかけに来た葉沼くんに訊いてみた。
「さあ、どうしてなんでしょうね。僕も良く知らないんですけど、棺おけのふたに釘を打つときは金槌は使いませんね」
「本当に使わないの?」
「いや、使うこともあるらしいですけど」
「なんだ。使うのか~い! じゃあ、ダメということじゃなくて、石を使うなんか別の理由があるんだろうね」
「昔はどこの家庭にでも金槌があるというわけじゃなかったからかな……」
「そうだろうか。石を使って打つと中途半端な感じで、簡単に開けられそうじゃない。途中で生き返った人が中から開けやすいようにということかもね」
「あははは。そうですかねえ」
結論が出ないまま、葉沼くんは棺を抱えて出ていく島崎一家の後について出ていった。
「お見送りに行きましょうか」フルモトちゃんに促されて、僕も外に出た。
表には葬儀屋の車が来ていた。お神輿のようなデコレーションがされた霊柩車じゃなくて、黒塗りのハイエースだった。側面に金色で蓮の花と葬儀屋のロゴが入っている。
あの狭い山道を良く登ってきたなと僕は感心した。
そして、もし僕の仮説が正しくて、棺のふたが開きやすいように石で簡単な釘どめがしてあるのなら、あの山道を下り火葬場に行き着くまでに車の震動でふたが開きやしないかと、少し心配になった。
火葬場には親族だけが行くらしく、良く知らないその他の人たちはそれぞれ帰っていった。僕とフルモトちゃんと葉沼くんだけが留守番のために残ることにした。