Smoke Gets In Your Eyes

猫と煙のお話

And I Love Her(42)

 

 

 ノブコは半年前に長崎へは帰っていないというイノウエフミコの話には納得がいかなかった。僕にはまったく理解出来ない話だったけど、彼女の確信を持った話しぶりや、松崎夫婦の態度から、僕は話題を変えようと思った。

 改めてイシイくんの墓参りに行った話や、亡くなる前のノブコの様子など聞いているうちにすっかり遅くなってしまった。

 松崎夫妻の経営する「シャングリラ」という小さなレストランは、裁判所や検察庁、消防署などの官庁や保険会社などが並ぶオフィス街にあった。いつも僕は車で来ると、一番近くの有料駐車場からでも歩いて結構遠いので、松崎さんから教えてもらった警察署の駐車場に停めていた。1時間やそこいらだったら、警察署は免許証の更新や何かで結構市民の出入りも多く、無断駐車をとがめられることもない。

 ただし、夕方になって一般の市民が出入りしない時間帯まで停めておくわけにはいかないので、話を切り上げてイノウエフミコとは再会を約束して店を出た。

 家に帰るまで、ふたたび僕はあの話を反すうしていた。ノブコは長崎に帰っていないと断言したイノウエフミコの話や、「シャングリラ」に僕と二人で来たことなんかないという松崎夫婦の話だ。まったく納得がいかないことだった。実に不思議な話だった。まるで狐につままれたような気分で僕は帰宅した。

 

 そうだ!

 ノブコからの手紙がある。

 「今度手術することになった」という電話のあと、ノブコから手紙が来たのだ。

 あの手紙には「手術後に長崎に帰る予定だ」と書いてあったはずだ。

 そうだ、ノブコの住所も確か書いてあったはずだ。なぜ、それに気が付かなかったのだろう。イノウエフミコからノブコが亡くなったという知らせを受けたとき、なぜ僕は香典の送り先を知らないと言ってしまったのだろうか。

 ノブコから手紙が来たことを、あのときは忘れていた。しかも、ノブコの死を知り気が動転していたこともある。

 

 僕は手紙がしまってあるはずの机の引き出しを探した。

 あの手紙は手術前の手紙だから、手術後に長崎に来たことの証明にはならない。でも、何かイノウエフミコを納得させるようなことが書いてあったかもしれない。

 電話会社の請求書、国民年金の納付書、年賀状などが雑然としまい込まれた机の引き出しを探してみたが、あるはずのノブコからの手紙は見つからなかった。

 封筒の色、特色ある彼女の字もちゃんと覚えている。ただ、差出人の住所はまったく覚えていないのだ。

 どこかにあるはずだ。一晩中、僕は手紙を探し続けた。

 しかし、手紙はどこにもなかった。

 

 それから2カ月ほどたったある日、イノウエフミコから電話があった。

 小西家の墓がある福島のお寺で、ノブコの四十九日の法要と納骨を無事に済ませましたという報告だった。

 ノブコのお墓参りにも行ってみたいのだが、いまは認知症の母の介護があって行けない。また、どこかで会えるはずだという気もしているし、最近ノブコもときたま夢に出て来てくれるので、まあ、それでいいかという気がしている。

 

 それからさらに一月たった11月の半ば、足元を冷たい風が吹き抜けていくある日、僕は松崎夫婦のレストラン「シャングリラ」を訪ねてみようと思った。

 あの話を蒸し返すつもりではないのたが、やはり何となく釈然としないので、佳代子さんや松崎さんともう一度ゆっくり話をして、納得したかったのだ。

 それに、深まりいく秋の日にうまい珈琲を飲みたいという気持ちもあった。

 いつものように、警察署の駐車場に車を停めて、黄色く色づいた公孫樹の葉が舞い散る坂道を「シャングリラ」のほうへと下っていった。

 

 「シャングリラ」が入っているビルが見えるところまで来ると、目の前の風景がどこか違って見えた。間違い探しの写真を見せられているような奇妙な感じがした。

 一歩ずつビルが近づいて来ると、はじめて僕はその「間違い」に気が付いた。

 「シャングリラ」があるはずのビルの1階には、「近藤行政書士事務所」という看板が掛けられていた。「シャングリラ」はなかった。

 

 ーーーー松崎さん、レストランやめちゃったのかな。そんな話はしていなかったけど。

 しばらくその辺りを探してみたが、「シャングリラ」はどこにもなかった。

 僕はあきらめて警察署のほうへと引き返した。

 もと来た坂道を上る途中、やはり気になって「シャングリラ」のあったビルのほうを振り返ってみた。すると、そこに一人の女性が立っていた。後ろ姿だった。やはり僕と同じように、そこにあったはずのレストランを探しているような雰囲気だった。

 少し白髪の混じった髪。ガッシリした肩幅はノブコとそっくり。ノブコは高校時代は水泳部だったので、肩幅は広かった。背格好も同じくらい。それに、ノブコが好んで着ていた紺色のコート。

 僕は坂道の途中で立ちすくんでしまった。

 「ノブコ!」

 思わず声を出して呼んでいた。

 女性はこちらを振り向いた。

 二頭の鯨が向かい合ったような、少したれぎみの目でにっこりとほほ笑んだ。

 間違いなくノブコだ。

 僕は坂道を駆け下りて行った。

 ノブコは僕に向かってゆっくりと手を振った。そして消えていった。

 

And I Love Her(41)

 ノブコが20年ぶりに会いに来てくれた日から、僕はあの夢を見なくなった。

 女を殺して床下に埋めているという夢だ。

 おそらく、あんな夢を見ていたのは「一緒に暮らそう」とノブコを引き留めておきながら約束を破って逃げだした罪の意識や、学生運動が過激化して内ゲバから仲間同士の殺し合いにまでエスカレートしていく悲惨な状況に何も出来ず、ただそこから逃げだすことしか出来なかった無力感などがない交ぜになって、あの悪夢をつくり出していたのではないかと思ったのだ。

 

 ノブコと再会して半年ほどたった、ある日のことだ。ヒグラシが鳴き始めたころだった。僕とノブコの共通の友人であるイノウエフミコから電話がかかってきた。

 「昨夜、ノブコさんが亡くなりました」

 イノウエフミコはノブコと小学校から高校まで一緒だった親友である。お互い「ノンコ」「フーコ」と呼び合う仲だ。大学はノブコは地元の国立大学へ、フミコは京都の女子大に進学した。卒業後フミコは長崎に帰って地元の放送局に就職したが、結婚後は東京で暮らしている。それで、ノブコとは家族ぐるみの付き合いを続けていたようだ。

 僕には、ノブコがもしかしたら死ぬのじゃないかと、半年前に会ったときからなんとなく予感はあった。イノウエフミコが「ノブコさん」と言ったことが、本当にノブコが死んでしまったんだと納得させた。

 

 ノブコと「お互いに年を取り、少なくとも64歳までは元気でいよう」と話していたのに。長崎に会いに来てくれたときも、大腸ガンの手術のあととは思えないほど、血色も良く、ちょっと白髪が混じった頭髪以外は、20年前とは何も変わっていなかった。だから、半年後に死ぬようには見えなかった。

 「人工肛門つけんでもよかったとよ」とうれしそうに言うノブコに、僕もそのときは  

「ああ、手術うまくいったんだね。よかったね。まだまだ長生きできるよ」と僕は言ったのだ。

 ただ、そのあと帰り道、車を運転しながらふと思ったのが、大手術のあとにわざわざ僕に会いに来てくれて、その理由が最後に話し合おうといって喫茶店「ジロー」で待ちあわせをしていながらすっぽかしたのは自分だったと、そのことを謝りに来たという話が、なんとなく気になっていた。すっきり晴れた気持ちになれない、何とも言いようのない不安を感じていた。もしかして、ノブコはこれが最後と思って会いに来たのではないかと。

 

 「佐橋くん、お葬式には来られないよね」

 「うん。実は母が認知症で介護が必要なんだ。行きたいけど、ちょっと無理だと思う」

 心臓が悪く入退院をくりかえしていた高齢の母が、さらに認知症が進み介護が必要となっていた。目を離すと家を出て徘徊することもあり、母を置いて東京まで葬式に行くことは難しいと思った。

 「それは無理だよね。小西さんは家族だけでと言ってたけど、一応、佐橋くんには報せとかないといけないと思ったので電話しました」

 「そうか。ありがとう。香典送らないといけないけど、小西さんの住所知らないんだよ」

 「あ、そうなの? いいよ、いいよ。香典は私が佐橋くんの分も用意しとくから」

 「いや、そんなことしてもらったら悪いよ」

 「いいのよ。『佐橋くんはおかあさんの介護で来られませんけど』って、渡しとくよ。実は来月、長崎に帰るのよ。そのときに立て替えたお金返してもらうから」

 「じゃあ、お願いするよ」

 

 その1カ月後に帰省してきたイノウエフミコと、半年前にノブコと会った自然食のレストランで会うことにした。

 久しぶりに会うイノウエフミコはすてきな大人の女性になっていた。僕には女性のファッションについてはまったく分からないのだが、それでも彼女の来ている服はセンスの良いいい品物だということぐらい、見てすぐに分かった。

 イノウエフミコと僕の関係は、家が近所だったということで、学校での同級生ではなかった。僕は小学校から高校入学まで島原で育った。高校2年生のときに長崎の高校に転入した。高校は兄の家から通ったのだが、当時長崎市内の県立高校は学区制になっていた。兄の家は長崎東高の学区だったのだが、そのとき東高に定員の空きがなくて、少し離れた長崎西高に僕は転入した。

 イノウエフミコの家は兄の家のすぐそばだった。何がきっかけで友達になったのか、思い出せないのだが、とにかく仲良くなって一緒に勉強したり、家に遊びに行くようになった。イノウエフミコは東高の生徒だった。ノブコとは小学校からの友達でノブコも東高の生徒だったのだが、そのころ僕はノブコと会ったこともなかったし、付き合ってもいなかった。

 ノブコとイノウエフミコが親友であることは、大学に入ってからノブコと付き合うようになってから知ったことである。

 

 イノウエフミコと僕は珈琲を注文すると、早速立て替えていた香典のお金を精算することにした。香典は一応親しい友人だったということで1万円包んどいたと彼女は言った。僕もそれくらいだろうと思っていたので、用意していた1万円を彼女に渡した。

 「ありがとう。本当は俺も行くべきだったんだけど」

 「いいよいいよ。事情は分かってるから。でも、ノンコも佐橋くんに会いたがってたよ。いつもあんたの話してたんだよ」

 そのとき、二人が頼んだ珈琲が運ばれてきた。

 「佐橋さん、久しぶりですね」この小さなレストランはノブコの大学時代の友人である夫婦がやっているのだが、僕と顔見知りでもあった。

 「半年ぶりですね」と僕が言った。

 「え?」と珈琲をテーブルに置きながら佳代子さんが聞き返した。けげんそうな顔をしていた。それでも、僕たちの会話を中断させてはいけないと思ってか、佳代子さんはカウンターのほうに戻っていった。

 

 「ノブコがね、半年前に帰ってきたとき、ここで会ったんだよ」とイノウエフミコに僕は説明した。

 「アハハハ、そんなわけないよ」それを聞くとイノウエフミコは大笑いした。

 彼女がなぜ笑うのか、僕にはわけが分からなかった。

 「手術が終わってね、人工肛門つけなくて良かったっていって、ここで話したんだよ」

 「うそお。うそばっかり」

 イノウエフミコはまだ笑っている。

 「いや、うそじゃないよ。ノブコから手紙をもらって、今度長崎に帰るからそのときに会いたいって、それで半年前に会ったんだよ」僕は混乱していた。なぜ、イノウエフミコは笑うのか。

 「いや、ほんとだって」

 僕はノブコがどうしても僕に会って謝らなくてはならないことがあると言ってたこと。そしてお互い64歳まで元気でいようと約束したこと。64歳になったらまた会おうと約束したことなどをイノウエフミコに説明した。

 話を聞くにつれて、大笑いしていた彼女が真顔になった。

 

 「あのね、佐橋くん、よく聞いて。半年前にノンコと私は大分に行ったのよ」

 「ああ、大分に行ったんだ。ノブコは行きたいけど今回は行けないと言ってたんだけど、行けたんだね」

 「イシイさんという人のお墓まいりにどうしても行きたいからって、ノンコは手術の直後だったから体力もなかったし、それにね人工肛門をつけなくてよかったのは、決して手術がうまくいったからじゃないの。もう手の施しようがないほどガンが進んでいたから人工肛門にはしなかったのよ。だから、大分までの旅行なんて無理だからって止めたんだけど、どうしても行きたいって言うから私が付き添って行ったのよ」

 「ふうん。そうだったのか。僕が会ったときは手術の直後とは思えないほど元気そうだったんだけどね」

 「いや、だから、ノンコは長崎には帰ってないのよ」イノウエフミコはとても真剣な表情で僕に言った。

 「分かる? 長崎には帰って来なかったのよ」彼女は念を押すように何度も言った。

 「『長崎に帰りたい。佐橋くんにも会いたい』って、大分からの帰りにも言ってたよ。でもね、もうあるけないほど体力がなかったから無理だったんだよ。大分に行けたのも不思議なくらい」

 「ちょっと待って、じゃあここでノブコと会ったのは、あれはなんだったとかな?」

 「ねえ、佳代子さん」と、思わず大声になって僕はカウンターにいる佳代子さんに同意を求めた。

 「半年前に、ここにノブコと一緒に来たよね?」

 佳代子さんはカウンターの中で、いや違うというしぐさをした。

 「松崎さんもいたよね。僕とノブコがここで話してるときに」松崎さんというのはここのオーナーで佳代子さんのダンナだ。

 「わたしがいなかったときかな。ねえ、ノブコさんと佐橋さん半年前に来た?」佳代子さんはダンナに尋ねた。

 松崎さんは申し訳なさそうに首を振った。

 「いや、半年前には佐橋さんもノブコさんも来てないよ」

 

 じゃあ、あれはなんだったのだろう。本当にノブコは長崎には帰ってこなかったのか。それに僕もここには来ていないのか? じゃあ、あれはなんだったのか? すべて僕の記憶違いなのか? そんなわけがない。みんなしておれのことをかついでいるのか? ドッキリなのか? 一体なんなんだ。

 僕はわけが分からなくて言葉を失ってしまった。

 

 

And I Love Her(40)

 あのときのことは本当にノブコの言うとおりだったのだろうか。

 彼女は自分のプライドを守るために、自分のほうから別れたのだと思いたいのだろうか。でも、僕の知る限りノブコはそういうタイプではないと思った。

 では、僕を気遣って自分のほうがすっぽかしたのだと言ったのだろうか。

 でも、それも違う気がする。わざわざ20年後に会いに来て、そんなことを言うだろうか。やはり彼女の口ぶりだと、最後にすっぽかしたのは自分だと20年間思い続けていたような感じなのだ。

 僕には本当のことは分からない。

 「そうか。そんなことあったかな。良く覚えていないよ。それより、小西さんと結婚して良かったね。あの人は良い人だと俺も思ってた」

 「うん。子供たちにもすっごく優しいんだよ。口下手だけど、ちゃんといろんなこと考えてやってくれる。ほんと、この人は東北の人だなって思う」

 「そうだよね。九州人は熱しやすく冷めやすいからね」僕が自虐気味に言うと、ノブコは「それそれ」と言って手を叩いて大笑いした。

 「あたしね、時間があったらイシイさんのお墓にも行きたかったとけど、今回は無理かもね」

 「イシイくんの墓はどこにあると?」

 「実家の大分よ」

 まだノブコも僕も学生運動の渦中にあったとき、Q大学の構内で革マル派社青同が乱闘になり、巻き添えになったノブコが革マル派によって拉致されたことがあった。そのときQ大のイシイくんは革マル派の拠点に単身乗りこんで、リーダーに掛け合ってノブコを無事に連れ戻してくれたのだった。ノブコはそれをずっと恩義に感じていた。

 まだ内ゲバも小競り合い程度で、殺し合いにまで至っていないころだったから、ノブコは無事に返してもらえたのだが、それにしてもなぜ同じ大学で一緒に学んでいる学生同士が暴力をふるい、意見が違うからといって相手のことを「反人民的である」とか「権力のスパイだ」とかいって殺し合ったりするのだろうか。彼らは本気でそう思っているのだろうか。

 70年安保闘争が収束に向かい、ベトナム反戦運動も下火になり、過激化した新左翼運動が夢見た「世界同時革命」や「プロレタリア革命」も起きなかった。

 多くの学生たちがヘルメットを脱ぎ、今度は企業戦士として日本資本主義の原動力になっていく現実をセクトの指導者たちは直視することも分析することも出来ず、ほとんどカルト集団化してしまった過激派は、ひたすら責任転嫁と内部結束のために他党派との殺し合いに全精力を注ぐようになっていた。

 

 内ゲバが集団同士での乱闘として行われていたころには、ケガ人はいたろうけど、殺し合いにまではなっていなかったと思う。それが、対立する党派の指導者や特定の個人をねらったリンチになり、死者が出るようになった。そうなれば、お互いに憎しみがまし、同時に恐怖も増す。殺される前に殺せという「戦争の論理」によってエスカレートしていく。

 僕が驚いたのは、それまで「資本主義下の労働によって疎外された感性をプロレタリアの闘いによって解放せよ」なとど書いていた党派の機関紙に「暴力や殺人は悪だというプチブル的倫理観を払拭して、プロレタリア革命戦士としての意識改革をなしとげ戦闘準備をせよ」とか言いはじめたのである。

 要するにいかに「左翼用語」で飾ってあっても、「おまえら、殺しや暴力は良くないと教わってきただろうけど、そういう甘っちょろいおぼっちゃんおじょうちゃんの道徳は捨てて、『革命』のために命を捧げ、敵を殺さなければならないのだ」と言いはじめたわけである。

 

 これは運動に行き詰まった左翼学生運動だけに起こる現象ではない。

 欧米をお手本として西洋化を進めてきた日本が、イギリスやアメリカとの戦争が始まると「鬼畜米英」を叫び、「殺される前に殺せ」とばかり国を挙げて、学校で教師は子供達にさえ人殺しを称賛するようになったのだ。もちろん、アメリカでも民衆に対して同様の宣伝が行われていた。アメリカ国籍でありアメリカで生まれた日系人もスパイ扱いされて収容所に強制収容された。

 チンピラやヤクザの抗争から国家間の戦争に至るまで、冷静に考えれば理不尽な理屈で多くの人々が憎しみと恐怖によって簡単に殺人者に変わってしまう。

 もっとも大切な教義として「愛」や「不殺生」を説く宗教の信者でさえそうなってしまうのが僕には不思議でならない。

 きっと、大きな権力からそそのかされて不安や恐怖を抱き、憎しみをもって他人に対する暴力を肯定するようになる人々というのは、最初から本気で「愛」や「不殺生」など信じてもいなかったのだろう。また、それを説く宗教指導者たちもきっと平時においてはそういう看板を掲げたほうが信者が集まり、お金も集まると思ってやっているだけのことなんだろうと思う。

 もちろん、ごくごく少数ではあるが勇気ある高潔な人々もいて、彼らは戦時においては非国民と言われ投獄されたのだ。

 いま世界中で「新型コロナ」によるパンデミック騒動が起きている。国民の命と健康を守り、医療システムが崩壊しないように、ある程度の社会行動に対しての制限が行われるのは理解出来るが、それでも「コロナは怖い」という人々の不安感につけこんで、これまで築き上げてきた人権や民主主義というものがおろそかにされてはいないだろうか。権力はいつだって自分たちの都合の良いように民衆の権利を制限しようとする。

 もしかしたら、これからの戦争は国家間でミサイルが飛び交い、核兵器が使用されるというようなことは起きないかもしれない。

 あり得るのは、いや、すでに始まっているかもしれないのは、誰がやったのか正体がわからない見えない勢力、もしかしたら天才的な個人かもしれないが、ネット世界やリアルな世界でウイルスをまき散らす、サイバーテロバイオテロを起こすかもしれない。そのとき権力は、サイバーテロバイオテロに対抗するには、人々の通信や移動の自由を制限するだろうし、そのために法律をつくったり、権力に従順な人間をつくる教育制度を整えたりすることだろう。

 そんな新世紀ファシズムによってこの世界が支配される日が来るのではという気がしてならない。

 

  話をもとに戻すと、内ゲバ騒動のさなかに革マル派に拉致されたのを助けてくれたイシイくんに対してノブコは恩義を感じていたので、彼の墓参りをしたいと思っていたのだ。ノブコが拉致されたときはまだイシイくんが単身乗り込んで交渉することが出来る程度の緊張関係だったが、それから内ゲバエスカレートしていき、彼らの機関紙が煽っているように「戦争」といっても過言ではないような状況になっていた。

 対立する党派のメンバーにレイプ、拷問といった最低なやり方でリンチを行ったり、指導者に対しては最初から殺しを目的として襲撃するということが日常化していった。

 僕の知るイシイくんはQ大学電子工学科の学生で、男気がある優しい人間だった。その彼が、僕やノブコが運動から離れた何年か後には過激派のリーダーになっていた。

 イシイくんがノブコを救出してくれた事件から確か5年ぐらいたったときだったと思う。僕はその日、アルバイト先から帰る途中、そのころ有楽町にあった朝日新聞の本社の前を通っていた。いつものようにビルの壁面に張り出されているその日の新聞を立ち読みしていて、ある記事を見つけてがく然とした。

 「内ゲバ殺人。歌手加藤登紀子さんの別荘を襲撃」とあり、革労協のメンバーが加藤登紀子の別荘で会議を開いていたところを、対立する革マル派の集団が襲撃し、イシイくんが殺されたという記事だった。

 

 学生運動なんかに関わらなければ、いや、学生運動にかかわっていたとしても、組織の論理ではなくて自分自身の倫理観や理性を大事にして考えれば、革命とも社会変革ともまったく関係のない、殺し合いの世界に入り込むことなどはなかっただろうにと思い、イシイくんの死が悔やまれるし、僕にとって衝撃的なニュースだった。

 別の人生を歩んでいれば、きっと、かれは順当に大学を卒業して大手の電気関係の企業に就職して、新製品や技術開発にその能力を存分に発揮していたことだろう。

 

 「おれもイシイくんの墓参りに行きたいな。ノブコが行くとなら一緒に行けたらいいな。そんときは連絡してよ」

 「うん。今回は無理やけど、また今度ね。一緒に行こうね」

 ノブコは明るく笑って答えた。

 それが、ノブコとの最後の会話だった。

 それからノブコは東京の家族のもとに帰っていった。

 

 ノブコと別れて20年間、その後結婚してからでもずっと、彼女のことは忘れたことがなかった。いつも思うことは、この空の下、どこかでノブコは元気に暮らしているはずだ。そして、お互い年を取り、もしかしたら64歳になった僕たちは、どこかで会って「やあ、元気だった」とあいさつを交わしているかもしれないと信じていた。

 それは僕にとっての信仰みたいなものだった。「どこかでノブコが生きている」「どこかでノブコは幸せに暮らしている」「それは僕にとっての幸せである」「だから、この世界はいろんなことがあるけど、きっと幸せな世界なんだ」

 

 

 

And I Love Her(39)

 「佐橋くん、あたしね」
 ノブコは僕の目を見て真剣な口調で言った。
 何かを切り出すときの表情だ。20年たってもちっとも変わらない。顔は真剣な表情なんだが、少したれ気味の目を細めてじっと見詰めるのだ。

 昔、ノブコは自分の目を好きじゃないと言ってた。
 「あたしの目は、なあんかさ、鯨が二頭泳いでるみたいに見えるとさ。おかしかろ?」まあ、そう言われれば目尻のシワが尾びれに見えて、二頭の鯨が向かい合っているように見えないこともない。
 「そうかな。ノブコの目は可愛いかたい。おれは好きやけどね」
 「そんげん言うてくれるとは、佐橋くんだけよ」

 

 20年後の中年になったノブコは、昔と同じ二頭の鯨でじっと僕の目を見て切り出した。
 「あたし、あんたに謝らんばいかんとよ」
 ノブコは僕に何を謝ろうというのだろうか。
 「佐橋くんと話し合うためにジローに呼び出したことあったろ?」
 新宿にあったシャンソン喫茶の「ジロー」にノブコと何度か行ったことがある。
 「あたしが話したいけんて呼び出しておいて行かんやったたい。それっきりもう会ってないとよね」
 「そうだった?」
 「そうよ。あれが最後やったとよ」

 そうだったのだろうか。僕の記憶ちがいなのか? 
 会って話し合いたいというノブコとの約束をすっぽかしたのは僕のほうだったとずっと思っていたのだが、ノブコは自分のほうが会う約束をしていた「ジロー」に行かなかったのだと言うのだ。


 僕の記憶では一番最後にノブコと会ったのはチヒロさんの家だった。
 チヒロさんの家にいつものように遊びに行くと、ノブコが来ているとユキコさんが少しきつい顔をして告げたのだ。
 チヒロさんは仕事中だった。ユキコさんは茶の間に僕とノブコを二人きりにすると、コーヒーを淹れに台所に行った。
 「総括して」とノブコは言った。僕のこれまでの行動について、ノブコと一緒に暮らしたいと言っておきながら、彼女に何の相談も連絡もせずに東京に出て来たことについて、ちゃんと説明しろと迫った。
 僕は何も言えなかった。何か言葉にして言うのがすべてむなしいという気分だった。
 「なんか言わんね」ノブコは怒ってはいないけど、何か言ってほしかったのだ。
 「何も言えないのが僕の総括だ」僕はそう答えるのがやっとだった。
 このとき、二人きりではなくてユキコさんがそばに居たら、「何気取ってんのさ。バカじゃないの」と思いっ切りどつかれていたことだろう。若かったとはいえ、本当にバカな男だ。

 

 僕は大学を辞めて兄の仕事を手伝っているとき、度々ノブコと会っていた。ノブコは学生運動で逮捕されたこともあったのだが、退学処分になることもなく無事に卒業しようとしていた。そんなある日、僕は兄との諍いをきっかけに家出した。ノブコには何も連絡しなかった。東京で暮らすようになっても電話一つしなかったし、手紙も出さなかった。糸の切れたたこのように僕は風に流されて飛んでいってしまったのだ。

 旭川で出会ったアコに恋心を抱きながらも、本気になれなかったのはノブコとのことがあって常に後ろめたく思っていたからだと思う。

 

 そもそもノブコとほんの一時期といえども同棲することになったきっかけは、ノブコが大学3年のときだったが、突然僕のアパートにやってきて「あたし、大学を辞めて映画の撮影手伝う」と言い出したときのことだった。
 成田闘争の記録映画などを撮っている独立プロの助監督と知り合って、大学を辞めて彼と一緒に映画制作の手伝いをすることにしたと言うのだ。助監督というのは東北大学の学生らしかった。
 「ノブコ、彼のこと好いとると?」
 「いや、そんな関係じゃないとよ。あたし、長崎ば出たいとよ」
 詳しく聞いてみたら、家庭での問題も抱えていて、学生運動の仲間たちとの関係もうまくいっていないようだった。
 家庭での問題も、運動仲間との問題も、彼女が逮捕されたときのことと関係しているようだった。


 ノブコの実家は薬屋をやっていて、彼女が通う大学の経済学部のすぐ近くにあった。
 父親はノブコが中学生のときに亡くなっていて、薬局は年の離れた長男が継いでいた。彼女が学生運動で逮捕されたことで、その兄さんや母親との関係が悪くなり、家に居づらくなっていたのだ。
 ノブコは逮捕されるまでは、経済学部の先輩で学生運動のリーダーであるNと付き合っていた。ところがノブコが逮捕されて拘置所にいる間に、Nは別の女子学生と恋愛関係になっていた。ノブコが釈放されて出て来ると、なぜかNはノブコに対してよそよそしくなっていた。まあ、それは当然と言えば当然だろう。はかの仲間たちも見て見ぬふりをしていた。知らなかったのはノブコだけである。そういうことで、ノブコは運動の仲間たちのことを信頼出来なくなっていた。

 

 僕とノブコが知り合ったのは、そういう時期だった。三派全学連が分解して反帝全学連となり、その結成大会でも社学同との間で内ゲバ騒ぎがあったあの夏に、僕とノブコは初めて会って、なぜか気が合ってバリケードを抜け出し深夜喫茶で夜通し語りあかしたこともあった。でも、お互いなんでも話せる相手ではあったが、仲の良い友達以上ではなかった。
 お互いに悩み事があると、いつでも相談出来る友達だった。

 

 「あたしね、ヒョウハクガエルに着いていこうかて思うとると」
 映画の助監督をしている東北大学の学生のことを、ノブコはヒョウハクガエルと呼んでいた。顔が蛙に似ていて、みょうに色白なのでノブコが着けたあだ名だった。
 「やめんね」と僕は言った。
 「行くとはやめて、おれと一緒にいてほしか」僕はノブコと別れたくないと思った。自分でも思ってもいなかった感情がどこからかわきだして、僕にそう言わせた。
 「行くなよ。一緒にいてくれ」

 僕のことばに驚いてノブコは細い目を思い切り見開いた。そして意外にもうれしそうな表情をした。
 「うん」ノブコはコクンとうなずいた。少し涙ぐんで見えた。意外だった。
 一緒に暮らしたのはどれくらいだったろう。そう長くはなかった。


 ノブコは大学をちゃんと卒業して就職したほうが良いと僕は思っていたし、彼女にそうするように勧めた。それで、ノブコは残りの単位を取るために大学に戻った。
 彼女にはそう言っておきながら、僕は大学を辞めて家業の手伝いを始め、兄から友人のことで小言を言われると、自由になりたいといって家を飛び出したのである。なんと無責任で愚かな男だろうと自分でもあきれるほどだ。

 そんないきさつがあって、ノブコにも連絡をせずに、実際は別れるつもりで連絡はしなかったのだが、長崎を出たのであった。
 そういう僕の仕打ちにノブコはきっと傷ついていたはずだ。
 彼女は大学を無事4年で卒業して、東京の重機メーカーに就職した。
 そしてチヒロさんの家に出入りするようになっていた。
 それは、僕がインド魔術団のスタッフとして北海道を巡業しているころのことだ。

 

And I Love Her(38)

 2週間後、ノブコは長崎に帰ってきた。

 彼女の大学時代の友人が夫婦でやっている小さな自然食とコーヒーの店で会うことになった。その店が出来たばかりのころには僕も何度か行ったことがあって、その夫婦とも顔見知りだった。

 オフィス街にあるので昼時は混むだろうと思って、ノブコと3時に会う約束をしていた。その店に僕が着いたのはまだ3時前だったのだが、先にノブコは来ていて友人夫婦と談笑していた。

 カウンター越しに話している3人に向かってあいさつをすると、ノブコはこちらを笑顔で振り返った。

 「お久し振り」20年のブランクを感じさせず、彼女は少しも変わっていないように見えた。それでも、近くで見ると少し白髪が混じっているようだった。

 「お客さんいないから、どこでも好きなところに座って話したらいいよ」

 マスターが気を遣って言ってくれた。

 

 僕とノブコはカウンターから少し離れて二人用のテーブルのところに行った。

 「おなかすいてるから何か食べようかな」ノブコが言った。

 「おれも昼ごはんまだ食べてないんだ」ランチタイムは過ぎていたので、僕は玄米ピラフとホットコーヒーを、ノブコは紅茶とスコーンを頼んだ。

 

 「手術うまくいったんだね」

 「うん。人工肛門つけるのかなと思ったとけど、つけんでもいいって」ノブコは地元に帰って長崎弁になっていた。

 「そうか。じゃあ、まずは退院おめでとう。仕事はまだ復帰してないんやろ?」

 「長崎に2、3日いて東京に戻ったら、また仕事始めるよ」

 「まあ、ムリせんごとね」

 「ありがとう。あたしね、佐橋くんに会いに長崎に帰るって主人にも言ってるとよ」

 「ああ。ダンナは元気?」

 「まあ、元気は元気やけど、なんか最近仕事が面白くないみたい」

 「最近は漫画ブームで本屋に入っても本棚の半分以上漫画だったりだしね。固い本読まなくなったからなあ」

 「そう。本も読まんし、書評とか読む人もだんだんいなくなったとよ」

 ノブコが結婚した小西さんは「読書新聞」という図書館や書店向けの新聞の編集者なのだが、以前「読書新聞」はどこの本屋に行っても置いてあったのだが、最近はあまり見掛けなくなっていた。

 

 「あたしね、佐橋くんとのこと主人に全部話してると」

 「全部? 全部って全部か?」

 「うん」ノブコはいたずらっぽく笑っている。

 小西さんとはチヒロさんの家で何度かあったことがある。二人で話したことはなかったのだが、あるときチヒロさんの原稿が仕上がるの待っていた小西さんと、チヒロさんの奥さんのユキコさんと三人で、茶の間でコーヒーを飲みながら雑談していたときのことだった。

 何の話からそういうふうになったのか覚えてはいないが、「おれはこの先、野垂れ死にするしかないな」と僕が言ったんだと思う。そのころ大学を辞めて、彼女と別れて、友人たちのように就職しようという気も起こらず、なんとなく虚無的になっていたのだ。すると、すかさず議論好きのユキコさんが「あんた、なにかっこつけてんのよ」とツッコミを入れてきた。

 「野垂れ死になんかしないでしょう? 仕事だってしようと思えばなんだって出来るんだし」ユキコさんは新宿ゴールデン街のバーでアルバイトをしているので、インテリの酔っ払い相手に議論するのは日常茶飯事なのだ。まして、大学中退左翼くずれの青二才のかっこつけのニヒルなんて、屁のようなものでちゃんちゃらおかしいのだ。

 そのとき、僕はなんと言って反撃したのか覚えていないのだが、やりこめられている僕がかわいそうになったのか、小西さんが一緒になって反論してくれたのだった。

 文学青年ぶったところもなく、実直な人だという印象だった。

 その人とノブコが結婚したと知ったとき、僕は正直安心したのだった。

And I Love Her(37)

 ノブコと別れて以来、僕はずっと負い目を感じていた。一方的に彼女から逃げたという思いがいつも心のどこかにあった。旭川で出会ったアコに恋心を抱きながらも、本気になれなかったのは、その後ろめたさのせいでもあった。

 それからずいぶん時が経ってからのことだ。ある日突然ノブコから電話がかかって来た。彼女は僕の電話番号を知らないはずだったから驚いた。僕はそのとき東京を離れて故郷に帰っていたからだ。ノブコは言わなかったが、どうやら共通の友人から僕の近況について聞き知っていたらしい。

 電話の内容も僕を驚かせた。

 

 「あしたね、手術することになってるの」ノブコはあいさつ抜きでいきなりそう切り出した。彼女と別れてから20年も経っているのに、先週まで会っていたような口振りだ。

 「手術って、何の手術?」

 「大腸がん」

 いきなりの話で僕は何と答えていいか分からなかった。しばらくの沈黙の後、ようやく僕は言った。

 「久しぶりだね。元気だった?」言ってしまってから、僕は自分の愚かさに狼狽えていた。電話の向こうでノブコの笑い声が聞こえた。

 「ああ、あした手術するんだよね。それで元気になれるよ。きっと」

 ああ、おれはバカだ。つくづくそう思った。

 それからノブコは自分の近況について話してくれた。

 結婚して子供が二人いる。結婚した相手は出版社や書店向けに発行されている業界紙の編集者である。僕はその編集者と1、2度会ったことがある。僕が逮捕されたときにもらい受けに来てくれた渡辺チヒロさんの家に出入りしていた編集者だった。

 僕と別れたあと、ノブコもチヒロさんの家に出入りしていたそうだ。そこで彼と知り合って結婚したのだと言う。

 ノブコは経済学部を卒業すると東京に本社がある大手の重機メーカーに就職したのだが、子供が出来てからそこを辞めて、いまは近所の小さな会社の経理をしていると言った。

 ノブコは手短にそういった自身の近況を話したが、僕は自分のことについて話さなかった。彼女も聞こうとはしなかった。おそらく誰かから聞いているのだろうけど。

 「あしたの手術がね、わたしはうまくいくと思ってるのだけど、結構大変な手術だから心残りがないように、あなたと話したかったの」

 「うん。ありがとう。連絡してくれてうれしかった」

 「わたしね、がんになって思ったんだけど、いま42歳じゃない?」

 「そうだね。あっというまにお互い年をとったね」

 「わたしの人生で、最初の20年間で一番大切な人はあなただと思ったの。あとの20年間で大切な人はいまの主人と子供よ、もちろん」

 ノブコと知り合ったのは19の時だった。しばらく同棲していたのも20歳そこそこのとき、ほんの数カ月だったのだ。まだ、正直に言って二人とも子供だった。

 「それでね……」ノブコは続けた。

 「それで、手術がうまくいったらだけど、一度長崎に帰ろうと思ってるの。そのとき会ってもらえない?」

 「うん……」僕は胸がいっぱいになって、やっと言えたのはそれだけだった。

And I Love Her(36)

 目が覚めてしばらくの間は起き上がることも出来なかった。

 ただぼんやりと天井を眺めているだけだった。

 どれくらいの時間がたったのか。

 テレビをつけてみた。ぼんやりした頭に「パンデミック」とか「コロナ」とか「感染拡大」とか「ワクチン接種」とか「緊急事態」という言葉がなだれ込んできた。

 この世界では何か恐ろしい疫病が流行っているようだ。

 アメリカでは60万人の死者が出たとも言っている。どこかの国では火葬する燃料が足りないとか、また別の国では土葬する人手が足りなくて、埋葬を待つ棺おけが倉庫のようなところに所狭しと積み上げられているとも言っている。

 

 状況を理解するにはもう少し頭がはっきりするまで待たなくてはならないだろう。

 昨夜、いや今朝方かも知れないが、最近見たことのない夢であった。

 僕の夢はたいていパターンが決まっている。ここのところずっとトイレを探す夢が多いのだ。それは確実に前立腺を患ってからのことだと思う。小便をしたくてトイレを探すのだが、やっと見つけてドアを開けると床が抜けているとか、建物自体が傾いていてトイレまでたどり着けないとか、ドアを開けたくてもビクともしないとか、とにかく意地悪なトイレになかなかたどり着けない夢ばかりなのだ。

 昔のことだが、良く見た夢というか悪夢は、実は以前女を殺して床下に埋めているのだが、どうやら警察がそのことをかぎつけているらしくて、近々家宅捜索に来るという夢をよく見た。どうしよう、バレそうだという不安と、「いや、おれはそんなことはしていないはずだ。女を殺した覚えなどないし、死体を床下に埋めたおぼえもない」そう思うのだが、一方で不思議なことに不条理にもおれはそういう設定の世界に送り込まれてしまっているのだという奇妙にリアルな感覚と、一体どうしたらここから脱出することが出来るのだろうかという焦躁感と恐怖がピークに達したところで、いつも目が覚めるのであった。

 

 あれは何だったのか。まだ学生運動や過激派と呼ばれるセクトとの接点が残っていたころのことだから、自分が非合法運動に関わっているという不安感がそういう夢になって現れたのだろうか。それとも、当時付き合っていた女性と別れたことが、その別れ方が僕のほうが一方的に逃げたという後ろめたさが「女を殺して埋めた」という象徴的なイメージとして夢に繰り返し現れたのであろうか。

 「女を殺して埋めた」という夢を見なくなったのは、おそらくある時期からだったと思う。学生時代に付き合っていた女性というのはノブコというのだが、別の大学の学生だった。彼女と知り合ったのは三派全学連中核派との対立で分裂して、社青同社学同の二派で反帝全学連が結成された全国大会のときだった。反帝全学連の委員長には後に歌手の加藤登紀子と結婚することになる社学同藤本敏夫がなった。

 僕がノブコと恋愛関係にあったのは、それほど長くなかった。2年ぐらいだっただろうか。数カ月は一緒に暮らしたこともあった。彼女と一緒にいた時間はそう長くはないけど、いまでも思い出さない日はないほど濃密な時間だった。

 お互いに愛し合っていたと思うのだが、大学を卒業して結婚するとか、そういうことは考えたことがなかった。僕自身、大学も卒業しようとは思っていなかったし、どんな将来が待ち受けているのかも想像が出来なかった。

 

 つい先日、Amazonプライムの動画で三島由紀夫と東大全共闘の討論というのを見たけど、あの記録映像の中での三島は左翼による共産主義革命が日本で起きるかもしれないとリアルに考えていたようだ。一方の東大全共闘のほうはというと、全員が同じように共産主義革命が出来るなどと思ってはいないように見える。むしろ全員が全員共産主義そのものを信じているとも思えない。これはいまだから後知恵でそう思うのかもしれないが、全共闘のほうは権力や権威主義に抵抗しよう、大人たちのつくり上げた権威主義を破壊したいという衝動で動いていただけで、明確に来るべき理想社会などというものを描いていたわけではないと思う。

 僕も党派の機関紙に書かれているような革命が実現するとは思えず、かといってこのままの社会では嫌だという気分だったので、なんらかの改革が実現されるだろうという期待よりは、この社会、この世界のどんな形で起きるか分からないが破局がおとずれるのではないかという、アナーキーな気分が強かった。

 ノブコと別れたのには具体的な理由があったわけではなかった。ただ、自分の将来を考えることも出来なかったし、計画することも無意味であり、同じことを続けるということに価値を見いだせなくなっていたからということだ。

 大学も就職も結婚も恋愛も家庭もすべて無意味に思えた。