煙が目にしみる

猫と老人の日記

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

And I Love Her(4)

自分のホテルにもどって、夕食までまだ時間があったので、部屋でたばこを吸いながらぼんやりとしていました。このころは、一日にショートピース3箱ぐらい消費していたから、30本は吸っていましたね。忙しいときはそれほど吸えないのですが、ショーがない…

And I Love Her(3)

ソーカーさんの後継者であるP.C.ソーカー.ジュニアが、デイさんと一緒に部屋に入って来ました。このとき、僕は初めてソーカー.ジュニアを見たのですが、兄のマニックと比べるとふっくらとしていて、口髭も生やしているし、亡くなった父親に良く似ていました…

And I Love Her(2)

ソーカーさんが亡くなった3日後、雪は降っていなかったけど、ものすごく寒い日でした。 僕たち照明班は、公演再開まで旭川で待機することになっていました。 その日の夕方、ソーカーさんの長男のマニックと、二男のジョホールが旭川に着く予定でした。 東京…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(12)そして And I Love Her(1)

ベリョーザの店内は、ほぼ満席でした。 アコは僕を見つけると、店の一番奥の席に案内してくれました。 「ごめんね。ここしか空いてなくて」 「いや、いいよ。僕一人だけだから」 「団長さん、亡くなったんだね。ニュースで言ってたよ」 「僕らもビックリした…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(11)

僕たち日本人スタッフがホテルで遅い朝食を取っていると、マネージャーのノノムラさんがやってきて、ソーカーさんがけさ亡くなったと伝えました。 インド人側のマネージャーであるデイさんが、ソーカーさんが部屋の窓際に置かれたいすに座ったまま亡くなって…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(10)

イワモトさんは、魔術団の移動用に用意されたバスで、インド人たちと一緒に旭川まで来たのですが、魔術団の人たちは防寒着など持っていなくて、特に女の人たちは薄い布地の民族服の上にコートを羽織っただけで、寒そうだったと言います。 「ほんとに冗談じゃ…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(9)

旭川での二日間の公演を終えて、美深町、士別市といった旭川からさらに北に行ったところにある町で公演を行いました。 舞台では毎日インド人の団員たちと接しているわけですから、しだいに何人かの人と親しくなっていきました。 親しいとまでは言えないけど…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(8)

その日は、リハーサルを兼ねてそれぞれの演目で用いるカーテンや、大道具の出し入れ、そして大きな道具類がとにかく多いので、それをステージの袖にどうやってスタンバイさせるかなど、いろいろなチェックを行いました。 ドロップカーテンは、ステージの上に…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(7)

ステージにP.C.SORCARインド大魔術団の大道具、小道具、カーテンなどが運び込まれました。 魔術団の人たちはバスで会場に到着すると、例の宝箱からマジックに使う小道具類や、ステージ衣装、それに大掛かりなマジックに用いる大道具などを取り出して、次々に…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(6)

目を覚ますと1971年の元日になっていました。 仕事始めの日です。トラックの荷物を降ろして、会場に搬入しなければなりません。 幸いにそれほど雪も降っていないし、地元の人に言わせると「暖かい日」だそうで、搬入も楽でした。第一、H興行の地元ですから、…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(5)

実は、タニムラさんは大型車の免許を取ったばかりでした。 いきなり荷物を目いっぱい積んだ11トントラックを運転して、冬の北海道まで走るのは冒険というよりも暴挙じゃないかと、僕は不安に感じていました。 タニムラさん本人はもっと不安だったと思います…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(4)

1970年12月30日。 横浜港でP.C.Sorcar魔術団の道具類をトラックに積み込むと、僕たちはそのまま北海道へと向かうことになっていました。 港近くの倉庫には通関を終えた荷物が並んでいました。 現場には、今回の日本公演の興行主である北海道旭川のH興行の人…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(3)

僕のK舞台照明での初仕事は北海道での正月公演を振り出しに、日本全国をまわるインド大魔術団の照明スタッフだということになりました。 興行主が旭川の会社だそうで、1月2日に旭川で公演を行って、その後半年間、北海道や東北で巡業し、残り半年間で日本…

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(2)

兄の家を飛び出して、それから僕が何をしていたかというと、まず東京に行くことにしたわけです。 それくらいのお金は持っていたから、スカイメイトを利用して東京に行きました。 飛行機から降りて、眺める東京の景色はまるで違っていました。 それまで何度も…