煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(14)

 フルモトの運転する軽バンは町を出て、山道に入って行った。

 本や雑誌を満載して、さらに大人二人が乗った軽自動車にとってはきつい上り坂が続く。狭くまがりくねった山道をノロノロと進む。下りの対抗車が来ないのが幸いである。この道での離合は、いくら軽自動車でも大変なのだ。

 右手は杉林の傾斜地、左手に見下ろすように谷底から道路の際まで棚田が続いている。

 「島崎さんと白井さんは、すっかり仲が悪くなってるみたいだね」

 「そうですね」フルモトは、あまりその話題に触れたくないのか、それとも事情に詳しくないのか、口数が少ない。もっとも、険しい山道で運転している最中に、混み入った話などしたくはないのだろう。

 

 私は亡くなった礼子さんがこんなことを言っていたのを思い出していた。

 「主人はあまり人の悪口は言わないほうなんだけど、『もし俺が、車で走っていて白井が道端に倒れていても、絶対に助けてなんかやらず、轢いて行く』って言うんですよ」そう言って、礼子さんは愉快そうにケラケラと笑っていたのだ。

 そのときは、あまりにも唐突な話題で事情も分かっていなかったため、私はあっけに取られて聞いていたのだった。

 その後、別の友人から白井治と島崎洋司が不仲になった理由について聞くことが出来た。もともと白井治と島崎洋司がどういういきさつで知り合ったのかは知らないが、最初のうち二人はむしろ仲が良かったのだ。二人とも脱サラで仕事を始めたばかりで意気投合したらしい。白井治は大学を卒業すると東京で商社に就職したが、そこを3年ほどで辞めると、長野県の田舎でヒッピーコミューンのようなところにしばらくいて無農薬の野菜作りを手伝っていた。

 そこで知り合った女性と結婚して、本格的に無農薬で農業をやろうと思い土地さがしをしていた。そんなときに知り合ったのが島崎夫婦だった。簡単に言うとそういう経緯だったらしい。

 無農薬で農業をやろうとしていた白井がなぜ古本屋を始めたのかといえば、たとえ土地が見つかっても最初の数年は現金収入は望めないだろうから、少ない元手で始められてそれなりに収入が望める古本屋がいいだろうと思ったのだ。

 一方、島崎夫婦のほうは食に関心があったので、自然食のレストランを始めた。ところが、無農薬の野菜や食材を集めるのはなかなか大変だった。

 無農薬野菜を作っているとか有機農業をしている農家があると聞けば、訪ねていって野菜を分けてもらう交渉をするのだが、虫に食われたり、天候に左右されたりで出来不出来があり、安定して提供してもらえないのだ。それに最初想像していた以上に値段も高くて、なかなかメニューには載せられなかった。

 そういうわけで、白井夫婦と島崎夫婦は共同で農地を手に入れて、自分たちで無農薬の野菜づくりをやろうと計画していた。あるとき知り合いのつてで見つけた好条件の土地を共同で購入する予定であったのだが、白井夫婦は独断でその土地を手に入れてしまった。そのことがこの二組の夫婦の決定的な対立の原因になっていたのである。

 

 私は断片的にこの話を亡くなった礼子さんから聞いていた。しかし、それは島崎夫婦側からの話で、白井夫婦からは聞いたことがなかった。白井夫婦の前で、島崎という名を出すだけで、何となく気まずい雰囲気になり、私もそこまでこの問題に深入りするつもりもなかったので、白井治に実際はどうだったのか訊くつもりもなかった。

 

  「もうみんな来てるみたいですね」

 山道を登りきって、丘の上のようなところに着いた。

 雑木林を切り開いて造られた駐車場に車が何台も停められている。

 フルモトは空いているところに車を入れるとサイドブレーキを引いて、車を降りた。