煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(4)

 1970年12月30日。

 横浜港でP.C.Sorcar魔術団の道具類をトラックに積み込むと、僕たちはそのまま北海道へと向かうことになっていました。

 港近くの倉庫には通関を終えた荷物が並んでいました。

 現場には、今回の日本公演の興行主である北海道旭川のH興行の人たちが既に来ていて、2台の大型トラックも待機しています。

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P.C.SORCAR インド大魔術団


 魔術団の道具類が収納された箱は、大小さまざまな、まるで海賊映画に出てくる宝物箱のようなブリキで出来た箱でした。世界中を巡ってきて塗装もはげ、傷だらけになっているのが、この魔術団の歴史を語っているようです。

 

 トラックは青い11トンのトラックと、緑の8トントラックで、タニムラさんと僕が乗るのは11トンのほう。緑のトラックはH興行の人が運転して旭川まで行くことになっているのです。

 H興行のドライバーはいかにもトラック野郎という感じの人でした。

 

 現場に魔術団の人もいないし、僕たちにもH興行の人にもどの箱に何が入っているのか分かりません。だから、構わずどんどん積み込んでいくしかないので、積み込みは案外早く終わりました。

 H興行のドライバーが乗った8トン車は積み込みが終わるとすぐに出発しました。

 

 屋外の作業はとても寒かったし、おなかも空いていたので、タニムラさんと僕は近くの食堂でうどんを食べることにしました。

 「猫屋敷ってずいぶん変わった名字だな」

 うどんを食べながら、タニムラさんは僕に言いました。

 「ええ。うち以外にはあまり知りませんね」

 「出身はどこ?」

 「長崎です」

 「へえ、長崎のほうの名字なんだ」とタニムラさんは言いました。

 「いや、長崎でもうちだけです」

 「ふうん」

 うどんと一緒にタニムラさんは僕の名字に対する疑問を飲み込んだようです。