煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(5)

 実は、タニムラさんは大型車の免許を取ったばかりでした。

 いきなり荷物を目いっぱい積んだ11トントラックを運転して、冬の北海道まで走るのは冒険というよりも暴挙じゃないかと、僕は不安に感じていました。

 タニムラさん本人はもっと不安だったと思います。

 それでもタニムラさんは夜通し走り続けて、なんとか元日までに旭川に到着することが出来ました。

 途中で、トラックのヒーターがほとんど用をなさないということが分かりました。それにタイヤは夏タイヤのままでした。

 H興行が横浜で中古トラックを買い入れて、そのまま港まで持ってきていたのだから、北海道仕様にはなっていなかったばかりか、山がなくなりかけたツルツルタイヤだったのです。

 

 青森の野辺地港でフェリーに乗り込むときはひと苦労でした。重量のある荷物を積んでいる上にタイヤがツルツルですから、雪道でなくても傾斜のあるフェリーの乗り込み口を一回で登ることは出来ませんでした。

 途中の札幌でH興行の人が整備工場を手配してくれていました。そこで、タイヤ交換と、ヒーターの修理をしてもらい、雪道用のチェーンも積み込みました。

 照明機材以外はまったく何も用意せずに鳥が飛び立つようにして、僕たちは横浜から走ってきたのです。

 旭川までどのようにして走っていったのか、道中の風景などもまったく覚えていません。なにしろ僕たちは緊張していて、路面に雪がないか、凍っていて滑りやすいところはないか、そればかり気にしていたからです。

 

 旭川に着いたのは大晦日の夜遅くでした。

 ホテルの部屋に案内されると、タニムラさんも僕も運転中はパンぐらいしか食べていなかったので空腹だったのですが、くたくたに疲れていて食事をする元気もありませんでした。

 それに、横浜から青森までは良くいろんなことを話していたのだけど、北海道に入ってから、とりわけ札幌から旭川までの間では、ほとんど何も話さなかったと思います。疲労と緊張が限界に達していたのです。

 

 ホテルの部屋は暖かく、すぐに眠気を連れて来ました。

 二人とも、ベッドに倒れ込むとそのまま朝まで泥のように眠りました。