煙が目にしみる

猫と老人の日記

ア・デイ・イン・ザ・ライフ(3)

 僕のK舞台照明での初仕事は北海道での正月公演を振り出しに、日本全国をまわるインド大魔術団の照明スタッフだということになりました。

 興行主が旭川の会社だそうで、1月2日に旭川で公演を行って、その後半年間、北海道や東北で巡業し、残り半年間で日本列島を南下しながら全国を巡り、その後は韓国公演が決まっているという話でした。

 

 先輩のノグチさんは、いつまでもいていいよと言ってくれるのですが、僕はインド大魔術団の仕事の間は全国を旅するわけですから、郵便物の送り先や連絡先だけお願いすることにして、取りあえず居候生活から卒業することにしました。

 インド大魔術団は、インドのカルカッタ(現在はコルカタと名前が変わりました)に本拠地を置く、インドでは有名な老舗の魔術団らしく、正式な名前はP.C.ソーカーインド大魔術団というのだそうです。P.C.ソーカーというのが団長さんの名前です。

 

 年末まで、僕は中目黒の事務所に通って、毎日「どさ回り」の準備をしていました。舞台監督のイワモトさんが「どさ回り」と言っていたので、みんなもこの巡業のことを「どさ回り」と呼んでいたのです。

 事務所に通うようになって、数日後に魔術団の巡業につくことになったほかのメンバーを紹介されました。

 タニムラさんという人がトラックのドライバー兼照明のチーフです。

たしか、面接のときに説明されたのは、巡業中の移動はスタッフも魔術団のメンバーと同じバスで移動するという話でしたが、どうやら実際は僕たちスタッフは魔術団の道具類や照明機材などを積んだトラックで移動することになったらしいのです。

 

 タニムラさんは20代半ば、僕よりも少し年上の人で、ニッカーポッカーと、ブーツを履いた、ちょっとお洒落な人でした。顔も雰囲気もトニー谷に似ているなというのが僕の初対面の印象です。

 もう一人、照明のスタッフが付くらしいのですが、別の事務所からの応援ということで、その人は公演の前日に旭川で合流することになっていました。

 

 舞台監督のイワモトさんが、スタッフの中でというか、K舞台照明の社員の中でも一番の年輩者のようでした。

 毛髪が撤退し始めている頭をなでながら、しきりにぼやくのです。

 「クレイジーだよな。冬に北海道と東北回って、夏に九州なんだぜ。殺すつもりかよ」年齢は40歳ぐらいかな。

  そうやって、クリスマスソングを聞きながら「たこ足」と言う照明器具用のケーブルつくりや、必要な道具類や工具などの荷造りを年末までやっていたのです。

 

 翌日はもう大晦日だという12月30日、僕は照明チーフのタニムラさんと一緒に横浜まで魔術団の荷物を受け取りに行きました。

 インドから船で魔術団の舞台装置や道具類が送られてきて、横浜港で受け取ることになっていたのです。