ア・デイ・イン・ザ・ライフ(6)
目を覚ますと1971年の元日になっていました。
仕事始めの日です。トラックの荷物を降ろして、会場に搬入しなければなりません。
幸いにそれほど雪も降っていないし、地元の人に言わせると「暖かい日」だそうで、搬入も楽でした。第一、H興行の地元ですから、会社から手伝いの人が大勢来ていました。
会場は大きなホールで、確か市民会館のようなところだったと覚えているのですが、北海道巡業のときの各地の会場をメモした手帳をなくしてしまったので、はっきりとは分かりません。
とにかく、11トントラックと8トントラックに積んだ魔術団の荷物をすべて降ろして、搬入口からステージに運び込んだころには、お昼になっていました。
タニムラさんは、会場の近くにある喫茶店が感じ良さそうだったので、そこで昼食を取ろうと言いました。
「元日から開いてるんですか?」
「さっき、ここに来るとき見たけど開いてたよ」
「へえ、元日早々やったるんですね」
そのころは、全国各地に洒落た喫茶店が次々に出来ていたころですから、初めての町で喫茶店に入るのが楽しみでした。
僕は特にジャズ喫茶があれば、必ず入ってみることにしていました。
その喫茶店は会場のすぐ目の前にありました。
「ベリョーザ」という名前のお店です。ベリョーザとはロシア語で白樺のことです。
入り口のドアを開けると、カランカラーンとドアに付けられたベルが鳴る、どこにでもありそうな喫茶店でしたが、中は暖かくて、コーヒーと甘酸っぱいケチャップのにおいがして、くつろげそうなお店でした。
地元の人にとっては暖かい日だったかもしれませんが、それでも氷点下でしたから、横浜からずっとトラックで走ってきた僕たちにとって、暖房の良く効いた室内でコーヒーが飲めるというのは天国のようでした。
それに、うれしいことにモダンジャズカルテットの「朝日のようにさわやかに」がかかっていたのです。元日にふさわしい曲です。
カウンタの中には、ポニーテールの女の子と背の高い眼鏡をかけた青年がいて、女の子はコーヒーを淹れていました。
カウンターには、地元の人らしいお客さんが一人座っていました。
僕とタニムラさんは、窓際の座り心地の良さそうないすに腰を下ろしました。
タニムラさんはミートソース、僕はナポリタンのスパゲッティとコーヒーのセットを注文しました。
「お客さんたち、魔術団の人?」
注文の料理をテーブルに置きながら、ポニーテールの子が話し掛けてきました。
「地元の人じゃなさそうだから、そうかなって思って」
色が白くて、ほっぺたが真っ赤な人なつっこそうな目をした子です。
年齢は、後で教えてくれたのですが、20歳になったばかりだということでした。
良く見ると、彫りの深いちょっと魅力的な顔立ちをしていました。
「俺、たばこ買ってくるわ」と言ってタニムラさんは席を立とうとしました。
「あ、僕が買ってきますよ。セブンスターですね?」
僕がそう言って、店を出ようとすると、さっき話し掛けてきたポニーテールの子が、カウンターの中から伸び上がるようして、「セブンスターならお店にあるよ」と言いました。
僕は、いつもショートピースを吸っていたので、それもあるかと尋ねたんです。
「ごめーん。ないのよ」という返事が返ってきました。
北海道のなまりでしょうか。彼女の声も僕には魅力的に思えたのですが、そのイントネーションがとてもかわいく感じられました。何か良く分からないけど、キュンとしたという感じですね。
彼女に教えてもらった煙草屋でショートピースを二箱買って、喫茶店に戻るまでの間、僕はずっと彼女のことを考えていました。
あのほっそりとした首、白い肌に赤い頰、少しだけあるそばかす、赤い唇、北海道なまりの、ちょっと男の子のような話し方をする、そのギャップがなんとも魅力に感じられるのだけど、彼女に恋人はいるのだろうか?
もし、いるとしたらどんな男が彼女には似合ってるのだろうか?
たわいもない想像を巡らしながら、喫茶店のドアを開けると本人が僕のほうを見て頬笑んでいました。
僕は自分の顔が火照ってくるのを感じました。
「お兄ちゃん、たばこあった?」
僕は、彼女のほうをちゃんと見ることが出来ませんでした。煙草屋との往復の間、ずっと彼女のことを考えていたことが悟られそうな気がしたからかもしれません。
「お兄ちゃん」と彼女は僕のことを呼びます。僕が2歳年上だからというのもあるでしょうが、初対面の人を「お兄ちゃん」と呼ぶのは、北海道の方言なのでしょうか。
彼女は、タニムラさんのことを「チーフ」と呼んでいます。それは、タニムラさんのことを照明のチーフだと僕が紹介したからです。
タニムラさんは、僕がたばこを買いに行っている間、彼女と話をしていたらしくて、彼女の名前はアキコというんだと教えてくれました。
「みんな、アコって呼んでるよ。お兄ちゃんもアコって呼んで」
コーヒーを運んできてくれると、そう言いました。
彼女のその言葉を聞いて、僕はうれしくなりました。
「チーフ」じゃなくて、「お兄ちゃん」と言ったからです。
別に他意は無くて、ただ僕にコーヒーを持ってきたついでに言ったのだから「お兄ちゃんも」と言ったに過ぎないのでしょうが、僕はもう正直に言えば彼女の魅力にすっかり捕らえられてしまっていたものですから、内心「やった!」という気分でした。
われながら単純だと思うのですが、恋は大体そういう感じで始まるものなのです。