煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(2)

 ソーカーさんが亡くなった3日後、雪は降っていなかったけど、ものすごく寒い日でした。

 僕たち照明班は、公演再開まで旭川で待機することになっていました。

 その日の夕方、ソーカーさんの長男のマニックと、二男のジョホール旭川に着く予定でした。

 東京のK照明からも、夕方にはイワモトさんの交代要員として、舞台監督のニシムラさんが来ることになっています。

 舞台監督といっても、ショー自体の進行役は魔術団のマネージャー兼舞台監督のデイさんがやるので、日本人側の舞台監督はデイさんや団長からの要望を聞いて、照明スタッフに指示をしたり、H興行との交渉をしたり、道具類の輸送を監督したりと、まあ雑用係というか、何でも屋という感じです。すなわち一番大変な仕事かもしれません。

 イワモトさんは大体寒さには弱くて、それに連日のトラブル続きで、例えばインド人が持ち込んだ電気器具が電圧の違いで使えずに、それをなんとかしてほしいとかいう注文があったり。照明機材のほうは電圧の違いで使えないことは分かっていたので、日本側で用意していたのですが、彼らが持ち込んだプライベートな電気器具については本来責任がないので、断っても良かったのですが、マネージャーのノノムラさんを通じてどうしてもと頼まれると、イワモトさんも無視するわけにはいかず、そういう雑用までやらされていました。

 「もう、この仕事降りるよ」というのが、イワモトさんの口癖のようになっていました。

 

 マニックとソーカー・ジュニアは、予定よりも早く昼すぎには魔術団の宿舎であるホテルに到着しました。そこは、H興行の関連会社が運営するホテルで、僕たちは別のビジネスホテルのようなところに泊まっていました。

 僕たちも、魔術団の後継者であるソーカー・ジュニアとの顔合わせも兼ねて、お悔やみに出掛けました。

 

 団長の部屋がある階でエレベーターのドアが開くと、悲鳴のような女の声が聞こえてきました。どうも魔術団の女性たちの泣き声のようです。ときおり叫び声も聞こえます。ノノムラさんが部屋から出て来て、ちょっと苦笑いしています。

 「マニックがソーカーさんの遺体をカルカッタに連れて帰るというんで、女の子たちが泣きじゃくるもんだから困ってるんだよ」

 

 部屋に入ると、中央にソーカーさんの柩が置かれていて、女性たちの中でも一番若い子がそれに取りすがって泣きじゃくっています。その周囲でも女の人たちが床に突っ伏したり、床を叩いたりして泣きじゃくっているのです。

 「あの子たちは一緒に棺に入れてくれ、自分も死にたいと言ってるんだよ」

 ノノムラさんも、困ったなという顔つきですが、それでも彼女たちの境遇に同情しているようでした。

 魔術団の団員、とりわけ若い女の子たちはソーカーさんをお父さんのように慕っていたのですから、一緒にカルカッタに帰りたいと思うのは無理もないことでした。

 長男のマニックが、しきりに彼女たちをなだめています。

 マニックは、30前後のほっそりとしたハンサムな男性です。ミュージカル映画『ウェストサイド物語』に出ていた人気俳優のジョージ・チャキリスに良く似ています。

 

 僕たち日本人スタッフも一人ずつ、柩に納められたソーカーさんにお別れのあいさつをしました。ソーカーさんはマジックショーで使う、マハラジャの服を着せられていました。本物のマハラジャは見たことがないけど、金色の豪華な刺繍がされた服です。

 死に化粧が施されているのか、青黒い顔のほほの部分はほんのりと赤く、ほほ笑んでいるように見えます。

 部屋の暖房で遺体が傷まないように柩の中にはドライアイスがたくさん入れてあり、ソーカーさんは白い煙に包まれたようになっていて、蓋が開いた柩から白い煙がモクモクと這い上り床を這うようにして広がっていきます。

 まるで舞台上のソーカーさんがスモークマシーンから吹き出す煙の中でマジックを演じているときのようでした。