煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(6)

 ソーカーさんの遺体はマニックと共にカルカッタへ帰って行きました。

 亡き父親の葬儀に出ることもなく、ジュニアはあとの公演を引き継いで、マジックショーを続けることになりました。

 僕たちの移動も続きます。名寄から稚内までの道北の町々でショーを行いました。ある町では、公会堂などの大きな会場もなくて小学校の体育館でやることになりました。

 行ってみて驚いたのは、ステージに幕がなかったのです。

 こういうときには、新たに舞台監督としてやってきたニシカワさんは頼りになりました。まったく慌てることもなく、8トントラックの荷台の下に積んできた鉄パイプを天井から吊して、仮設の緞帳(どんちょう)をつくってのけました。

 この緞帳(どんちょう)がなければ、ステージの上での細工がすべて客席から見えてしまって、マジックが台無しになるのです。そして、我々の舞台設営の準備が終わらなければ、雪の中で入場を待っている人たちを凍えさせることになるからです。

 

 無事に仮設の緞帳(どんちょう)や仮設のステージが出来上がり、ショーに必要な仕掛けの準備も終わりました。

 子供たちだけでなく、マフラーやショールで頭をおおって、まるでロシアのマトリョーシカ人形のようなお年寄りたちも、白い息を吐きながら長い間待っていてくれたのです。

 体育館の中では、本土では見たこともないような大きな暖房器具が設置されて、ゴオゴオと音を立てて暖かい空気を吐き出しています。

 入場が始まると、真っ先に子供たちが駈け込んできました。あとに大人たち、おじいさんやおばあさんも続きます。

 なんとかショーを始めることが出来そうです。

 

 ニシカワさんは30過ぎのちょっと不良っぽいルックスの人でした。ちゃんと卒業したのかどうかは分かりませんが、早稲田で演劇をやっていたという話です。それから自分たちでアングラ劇団を旗上げしたのだそうです。お芝居だけでは食べていけないので、こういった出稼ぎのようなアルバイトをやってるんだと言いました。

 以前、ボリショイサーカスの裏方仕事をして冬のシベリアで巡業したことがあると行っていました。「だから、おれは寒さなんかへっちゃらなんだ」と。

 「シベリアの寒さは北海道の比じゃないよ。零下50度のところでも薄着で仕事してたんだぜ」と豪語していましたが、疑うわけではないけど、社会主義ソ連には旅行で行くことにも制限があるのに、ボリショイサーカスもわざわざ日本人のスタッフを雇ってシベリア巡業なんかやるだろうかと思ったりもしましたけどね。

 

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