煙が目にしみる

猫と老人の日記

And I Love Her(11)

 いつもなら途中で口を差しはさみ、話題をオカルトのほうに誘導したがるのに、めずらしく白井治は私の昔話を最後まで聞いてくれた。

 なぜ、私がこういった思い出話をしたのか、また白井治がなぜ私の昔話などに関心を示したのか、それは良く分からないのであったが、なんとなくそういう話になっていた。

 白井はいつも自分の興味がある分野、オカルトや古代史について、どちらかというと一方的に話すことが多く、話題もそちらのほうに誘導するのが常だったのであるが、このときは不思議に最後まで黙って聞いていた。

 「それで、ずっとインド魔術団の仕事の間は猫屋敷と名乗っていたんですか?」

 僕の話が終わると、白井は尋ねた。

 「いや、いや、それは無理ですよ。タニムラさんも本気で信じていたわけではないし、すぐにバレることだから、本名を名乗りましたよ」

 「そうでしょうね。でも、佐橋さん、なんでまた猫屋敷なんて言ったんですか?」

 白井は笑いながら尋ねた。

 「僕の本名が佐橋じゃないですか。サバシだから、猫が寄ってくるんですよ」

 「あははは。本当ですか?」

 「なんでも、死んだオヤジが言っていたんですけど、我が家は昔かつお節やさば節を造っていたらしいんです」

 「佐橋さんは鹿児島でしたっけ?」

 「ええ。僕はこっちで生まれたんですけど、オヤジの代までは鹿児島です」

 「鹿児島でさば節やかつお節の加工業をなさってたというわけですね?」

 「ええ。そうです。でも、実際にかつお節造ってたのは、大正のはじめぐらいまでらしくて、そのころやはり地元では猫屋敷とか言われていたらしいですよ」

 「ああ、猫が寄ってくるんですね」

 「加工するときに出たサバやカツオのくずをもらいに来てたんじゃないですかね」

 「そうなんですか。一応、猫屋敷という屋号というか、呼び名はあったわけなんですね」

 「まあ、屋号じゃないですけど。父が子供のころにはそう呼ぶ人もいたそうです」

 「お父さんの代で、かつお節屋さんはやめられたわけですか」

 「祖父の代ですね。大伯父が莫大な借金をつくっちゃって、工場も屋敷も抵当に入っていたものだから、つぶれちゃったらしいですよ」

 父親の話では、祖父のすぐ上の兄さん、私も幼いころに一、二度会っているのだが、寅次郎という人が金山探しに佐橋家の財産を使い果たし、さらには借金で家業までつぶしてしまったのだという。大伯父寅次郎は、薩摩藩の金山にまだ手付かずの鉱脈が残っているはずだと、家業も継がずに探しまわっていたのだ。

 私の記憶では、トンビに山高帽のかっこうで突然現れる痩せたおじいさんという印象だったが、父の話でもおしゃれで遊び好きの人だったらしい。

 財産使い果たして借金までしたのは、必ずしも金山探しだけのせいではなくて、遊蕩によるものであったかもしれない。

 父親の子供時代には家業もうまくいっていて、かなり裕福だったらしい。それが、父が旧制中学に進学するころに、寅次郎の借金のために工場や家屋敷が人手に渡ることになってしまった。

 不運というのは重なるもので、工場の破算と同時に祖父も他界してしまった。

 

 佐橋家の屋号は「鰹屋」であったらしく、私が子供のころにその当時の「鰹屋」の帳面や印判などが残っていて、見たこともあった。当主は源左衛門を名乗っていたという。だから祖父は佐橋源左衛門というのだが、その代で鰹屋はつぶれてしまったので、私の父は佐橋一郎という極めて普通の名前しか持っていない。

 

 「猫屋敷源左衛門」などと名乗ってタニムラさんをかついだのは、子供のころ私は羽振りの良かったころの佐橋家に生まれたら良かったのにといつも思っていたからだ。

 佐橋真一などではなくて、四代目鰹屋源左衛門というのが格好が良く、そう名乗りたいと思っていたからである。

 

 店の電話が鳴っている。白井は受話器を取ると、すぐに私に渡した。

 妻の律子からだった。

 「古本さんからさっき電話があって、島崎さんの奥さんが亡くなったってよ」